大人になるということ

駅前を歩いていて今日は成人式なのだと気付いた。
若者たちの集団の多くが、ハイテンションだった。
うざったいなあ、でもまあしょうがないか、と思う。
(とはいえ、誰が着付けたのかどこか崩れた袴を着て大声で喋りまくりながら
 扇子で扇いでいる姿を見かけたときは正直、殺意を抱いた)


スーツも和服も着慣れてなくてぎこちない。
似合ってない、身の丈にあってない。
成人式が一律20歳というのはやめればいいのに、と思った。
社会に出て働くようになった一年目に
自分は大人になったと感じたら出る、でいいのではないか。
単なる同窓会のきっかけに過ぎないのだとしたら、
君たち、自分らで企画しなさい。


儀式じゃなくてただの行事。形骸化している。
成人式そのものにはどこにどういう境界線があるのかよく分からない。
なのでどうしたらそれをまたぎ超えたことになるのか、
つまり大人になったのかがはっきりしない。
単なる瞬間の断面に過ぎなくて、物事の結び目になっていない。
せめてなにか共通の体験、イベントごとがあってそれを終えてから
ホールの椅子に座って式を開催、とすればいいのに。
呼ばれたので見知らぬ人たちと一緒にホールで2・3時間過ごしてました
というのは体験でもなんでもない。


(まあ、結局はやっかんでるんですけどね、はい)


はしゃぎながら街を歩く若者たちを見かけたとき、
なぜかふと、フラワーカンパニーズ「発熱の男」を思い出した。
http://www.youtube.com/watch?v=v9ALxRtFJQI
大人になるってどういうことなんだろう?
フラカンも自分も、大人にならないまま年だけはとって
しっかりとオッサンになったように思う。


37歳。自分が18歳のときに結婚して子供ができていたらもう19歳になる。
その息子か娘は来年成人式だ。
そんなことに気付いたとき、いろんな意味でゾッとした。