熊野古道を歩く その15(2/22:川湯温泉〜紀伊田辺)


6時起き。館内の露天風呂に入りに行く。
アメリカ ミステリ 傑作選 2003』をひとつ読んで7時半にまた入る。
食べ終えて8時半、最後にもう一度だけ入る。
三回とも僕一人、貸切。贅沢だよなあ。
僕のこれから先の人生においてもこれ以上の温泉体験はないかもしれない。
(そう考えるとむしろ安かった。一人なので割り増しで一泊2万を越えたけど)


明るくなって、朝7時だというのに工事が始まる。
ショベルカーが動いている。
仙人風呂の水面から上がる湯気が風に流れている。
森のほうを見るとすぐ目の前の木々に雲がかかっている。


朝食ははりはり鍋、ふぐを網に炙って、こんにゃく(ゆず味噌をつけて)、
マグロ納豆、玉子焼き、梅干、漬物、昨晩の伊勢海老を味噌汁にして。


段ボールに詰めた荷物を最後ガムテープで封をして
伝票に記載してフロントに持っていく。


チェックアウト。ロビーのソファーに座る。バスの時間を待つ。
川の水位が上昇して、本日は仙人風呂を利用できないという掲示を見かける。
ふと、今晩大阪で会う女性たちにお土産を買おうと思い立つ。
川湯温泉のお湯で作られたフェイスパックがかさばらなくてよさそうだ。
スーパーヒアルロン酸、コラーゲン配合。


時間が来て紀伊田辺行きのバスに乗る。雨が少し降っている。
宿の方がお見送りしてくれる。


水曜の朝、乗客はまばら。僕の他は旅行中の若い女性二人。
たまにポツリポツリと短い区間をお年寄りが乗っては下りていく。
短いトンネルをくぐって渡瀬温泉に出る。
しかし湯峰温泉に行って戻ってくるルートは現在通行止めで、
手前の「わたぜ」にてUターンして時間調整のため停車。


バスは2時間。ところどころ熊野古道と並行したり交差しながら進んで行く。
小広王子や近露王子といった停留所がある。
その多くは山間や山里の道。バス停の名前に峠、川、橋などと見かける。
ウトウトして過ごす。
「皆ノ川口」を通過して、ああこれが『紀州』に描かれていた
「皆ノ川ソヴィエト」はここか、養豚場を組織的に、近代的に行うという。
しかしバスから見る限りではここも他と変わらない普通の集落だった。


5分ほどのトイレ休憩があって、外の空気を吸う。
その次が「栗栖川」で若い女性二人がリュックサックを背負って降りていった。


「なくそう差別 守ろう人権」という標語が大きな柱となって道沿いに立てられている。
スカートをはいた女子高生が悠然と乗ってきて、「熊野高校前」で下りていく。
田辺の市街地に入る。これも『紀州』に出てきた「朝来」へ。
だいぶ都市化されて開けている。
道ばたの表示に「浜松から378km」とある。
他にもどこかで「浜松からxxxkm」を見かけた。なぜ浜松?


紀伊田辺の駅前で下りる。11時半前、予定通り。運賃は1,850円。
切符売り場で天王寺までの特急券を買う。指定席で4,510円だったか。
ちょうどいいタイミングで乗っていける「スーパーくろしお」があるものの
せっかくだから紀伊田辺の町をフラフラと歩いてみようと思う。
2本遅らせて13時半過ぎのにする。
リュックサックをコインロッカーに預けて駅の外に出る。


駅前の観光案内所のラックから
紀伊田辺のあがら丼」と「たなべぇマップ」をもらって、まずは昼食かと歩きだす。
読むと「あがら丼」という食べ物があるのではなく、
田辺の言葉で「私たちの自慢の丼」という意味であるようだ。
なのでしらす丼であったり、海鮮丼であったり、熊野牛焼肉丼であったりマチマチ。


商店街を歩く。シャッター街寸前のようでいてまだ頑張っているというような。
風通しのよさをどこか感じる。地元のFM局(FM TANABE)のミニスタジオがあって、
その番組が街中に流れている。
http://www.fm885.jp/pc/modules/pico/toppage.html


なんとはなしに海蔵寺通りから銀座通りへ。
梅干を初めとする梅製品の店が多い。
飲食店であろうとファッションであろうと
店の佇まいは和歌山とも紀伊勝浦とも新宮とも違って、洗練された雰囲気を感じた。
この近くの「あがら丼」と思って地図を見たら「めはり本舗 三軒茶屋
行ってみたら、…移転していた。


じゃあってんで近くの「南方熊楠顕彰館」へ。ここには南方熊楠邸もある。
http://www.minakata.org/


最近建てられたのだろう。名のある建築家が設計したのか、モダンな建物。
入場料は300円だったか。僕以外には大学生ぐらいの息子を連れた初老の夫婦。
1階が展示ホールになっていて、
カラフルなパネルでその業績であったり交流であったり南方熊楠の生涯を追う。
ホログラムやタッチパネルが現代的。ここはまあこんなもんか。
どちらかというと本格的な研究者向けなのか、
一般の人が入室できない資料室が充実してそうだった。窓があって中を覗ける。


僕にとって興味深かったのは手書きの手帳(字がうまいんだか下手なのか)や
当時の出版物『訓蒙天然地理学』『究理問答』など。
上の階には「十二支考」の”腹考”のカラーコピーが。
南方熊楠は何か新しいことを考えるときはマインドマップのように
キーワードのリンクを書いていったんですね。
南方熊楠がロンドン時代に筆写し、全巻購入もしたという
ブリタニカ百科事典の第9版(1875−1889)。
ここにあるのは南方熊楠自身のではなく顕彰館が買い直したもの。
参考図書の棚には民俗学ということで
柳田国男に始まって赤坂憲雄の『東北学』の各号が収められていた。


顕彰館の隣には南方熊楠の旧邸。
晩年確かにここに住んでいたのであるが、痛みが激しいということで復元された模様。
母屋、書斎、土蔵など。あえて言えばレプリカなのでどこか博物館の展示っぽい。
庭には粘菌を発見したという柿の木や名前にあやかって大切にした楠の木。
そして安藤みかんの木。天然記念物に指定されているとのこと。