パンクロックというもの

最近、パンクロックについて考える。
中1のときにブルーハーツと「TRAIN-TRAIN」に出会って以来の
長い付き合いなわけですが、年を追うごとになんだかよくわからなくなってくる。
ロックはパンクとパンクじゃないものとに分けられるようでいて…
いや、そもそもどこからどこまでがパンクなのか。
というより、ロックは全てパンクじゃないのか。


代表的なものを挙げるのはたやすい。
しかし、Crass や Discharge と
Green Day や Offspring が同じかというと全然違う。
単に時代や地域のことではなくて。
Ramones は誰に聞いてもパンクと答えるだろうけど、
具体的に「I Wanna Be Your Boyfriend」がそうかというとなんか違う。
かといってサブジャンルをどんどん定義していくとつまらなくなっていく。
同じように、どこが周辺なんだろうか。
例えば日本だと The ピーズフラワーカンパニーズはどうなのか。


曲や演奏の形式ではなくて、態度やイメージなんだろうな、
というところでいつも思考が停止する。
反抗、Noを突きつけること、拳を振り上げること。
いや、そうなのか。それだと薄っぺらくないか。


飢餓があって、そこから焦りが生まれて、苛立ちが募っていく。
それを吐き出すのだから曲は短くもなり、単純にもなる。
その裏返しに寂しさや孤独があるから、人目をひきつけたくなる。
だけどディスコミュニケーションは永遠について回って、仲間内で群れるようになる。
最近、そういう音楽なのだと思っている。
ディスコミュニケーションが解消されるとき、パンクはパンクでなくなる。
卒業するというか。
(しかし、なかなか卒業できない。たぶん、僕も含めてほとんどの人は一生できない)


そこには未来はなく、居心地のよいコミュニティの中で
内向きの視線が捕えた過去と現実とだけがある。
「No Future」とは実はそういうことなのだ。
あくまで現実に対する批評であって、変革を実は求めていない。
逆説的にそういうものなんじゃないかと最近考える。
やりばのない、反抗。


そんな僕が今、この辺りがパンクだと思うのは
The Pop Group「Fores of Oppression」
Gang of Four「At Home He's a Tourist」
Public image Ltd. 「Four Enclosed Walls」
The SmithsQueen Is Dead」
世間的にはニューウェーヴとされる実験的な音楽の方がパンク。
閉鎖的な批評性をどんどん高めていったから。
Sex PistolsThe Clash 辺りよりも。
いや、10年後には一回りしてそっちこそパンクと戻っていくのか。