日出ずる国

日本という国はアジアの東の果てに位置する島国として
弥生時代に稲や鉄やその他あれこれを
北方や南方や西方から海伝い・島伝いに受け入れて
その後飛鳥時代には交易の途上で
中国・朝鮮半島から伝えられた漢字や仏教を取り入れる。
それが中国から来たそのままに漢字を使い続けるのではなく
やがて平仮名や片仮名を考案し、
仏教も後の神道と相互に影響を及ぼしながら様々な宗派を生み出していった。
何事も常に「日本化」を経て独自なものに変化・変容する。
プロトコルがそもそも変わってしまって
元の国ではもはや利用できない。還元できない。


こういった性質は単に日本が島国だから、というだけではないと思う。
もうひとつあって、それ以上東には進めない行き止まりだったから
というのが大きいのではないか。
(もちろん、ハワイ諸島へ、アリューシャン列島からアラスカへ、
 というルートもなくはないだろうが、
 アジアの大陸の人たちが気軽に交易へという距離ではない)


中国・朝鮮半島から伝えられるものをそのまま呑み込むだけではなく
フィードバックもしたのだろうが、
基本的には日本の中に「たまって」いった。
表面的なところにとどまり移ろうものもあれば
奥深くで他の何かと融合や化学変化を起こしたものもあった。
大事なのは、日本から先に伝える相手、伝える使命がなかったこと。
日本の中で好きに扱ってしまってよかった。


これが、日本の更に先、東側に
もっと他の島国があったら違っていたのではないか。
日本は通過点として仏教も漢字もスルーするだけ、
それがむしろ中国から届いた仏教や漢字をそのまま受け取って
それが便利ならば、そのまま使うことになったのではないか。
そんな気がしてならない。
中間点たるもの、インとアウトが揃ってなんぼである。
若干のマイナーチェンジが現場では起きても
メジャーなチェンジを引き起こすわけには行かない。
市場のようなものであって、それ自身では生産や加工を行わない。


そしてその更に東側の島国からも独自な文化が届いて
日本において中国・朝鮮半島から来たものと交じり合い、
というかマダラになっただろう。
恐らくはどちらかから征服されて、その国の文化に同化しただろう。


これがまあ20世紀に入って
科学・産業というか文明の発展とともに地球上の距離が縮まって
その更に東側の国というのがアメリカになるわけで。
そんなふうに考えると見えてくるものがある。