残り時間

帰り道、地下鉄に揺られながらぼんやりと考える。


残りの人生があと3時間だったら、僕は何をするか。
それが神保町や荻窪だったら
これまでに食べた最もおいしかったものを食べに行くのか。
トッピング乗せられるだけ乗せて、
腹いっぱいでもう苦しいってところまで食べる。


あと3日だったら。
今から思い立って最も遠いところまで行こうとするのだろうか。
マンガとミステリを何冊か買って缶ビールを何本か買って
新幹線に乗って北海道か九州を目指す。
温泉宿で酒を飲んで過ごす。
温泉に浸かってこれまでの人生のことを考える。


あと3週間だったら。
南米を旅するだろうか。パタゴニアを目指す。
ザックを背負い、できる限り歩いて行きたい。
南極に近付けるだけ近付く。
その途中で道に迷ったり暴漢に襲われて命を落とすならそれでもいい。


あと3ヶ月だったら。
故郷青森で大人しく過ごすだろうか。
冬だったら毎日淡々と雪かきをして。温泉銭湯に入る。
母の作ったカレーを食べる。
時々、青森のあちこちを泊まりで訪れてみる。
それまでの人生を文章に書いてみる。


あと3年だったら。
この辺りからもう分からない。
最初の1年や2年はこれまで通り暮らそうとするのだろうか。
これから先のこと、全てを忘れようとして。
実際、忘れて過ごせる時間がほとんどだろう。
だけど残り3ヶ月か3週間か3日になって突然焦り出し、
何かしなければとじたばたするんじゃないか。
そしてこれまでの日々を公開する。


あと30年だったら。
何も思いつかない。計画的に過ごすということ全般が。
何をすべきなのか。何をしたらいけないのか。
いくら貯めたらいいのか。
身の回りのものは処分した方がいいのか。
そのとき、僕は一人きりなのか。
どんな人間になっていたいのか。
これが描けないということは余生30年に関係なく
僕は人生設計というものが何もないということになる。


あと300年だったら。
その頃、日本は、世界は、地球は、宇宙は、
東京は、青森は、どうなっているのだろうか?
破滅しているとか発展しているとか。
僕だけが300年生きるのか。
誰もが同じように300年生きるのか。
年老いて皺くちゃになって自らは動けなくなって。
あるいは意識だけとかコンピュータ上のデータになって。
宇宙空間を漂い続けるとか、霊魂とか。
誰かと一緒とか。皆が一つになっているとか。


たいして面白イメージは思い浮かばず、
僕は駅に着いてホームを歩く。
3秒後、突然倒れて意識を失う。
そんなこともあるかもしれない、なんて考えながら。