伊香保温泉旅行

ひょんなことから編集学校のつながりで3月の今頃、伊香保温泉に行くことになる。
29期の「破」(応用コース)全体に呼びかけてというもの。
こういう試みは僕の関わった限りでは初めて。
昨年の倉敷・尾道は全体ではなく3つの教室の集まりだった。


今、手分けして急ピッチでプランニング中。
僕は師範という立場上、どちらかというとご意見番
自分が企画・幹事をしない旅行なんていったいいつ以来か…
(ちなみに4月は京都に花見の話も)


そもそも伊香保温泉ってどこ? 群馬なんですね。
行ったことないのでサラッと調べてみた。


以下、学校のラウンジにて共有したもの。
歴史をまとめてみると。


垂仁天皇(第11代紀元前29年〜紀元後70年)の時代に開かれたとも、
 行基(668年〜749年)によって発見されたとも言われている。
万葉集(8世紀後半に成立)でも歌われている。


・1502(文亀2)年連歌師の宗祇が「千明(ちぎら)仁泉亭」に
 泊まったと記録あり。


・1576(天正4)年、伊香保の石段街が作られる。
 日本初の温泉リゾート都市計画?
 現在の石段は1980(昭和55年)からの5年間で、
 天正以来の大改修が行われたもの。


・この頃、長篠の戦いで負傷した武田兵の療養場所として
 武田勝頼が当時上州を支配していた真田昌幸に命じ、整備された。


・江戸時代、元禄、文化・文政時代に榛名神社が観光名所となり、
 伊香保の湯治がブームとなる。


・1666(寛文6)年に大火災。町の大半を焼き尽くす。
 1920(大正9)年にも大火災が発生。


・ドイツより招聘されたエルヴィン・フォン・ベルツ博士が
 1879(明治13)年の「日本公泉論」で伊香保について記述。


・1889(明治23)年に宮内省が「伊香保御料地」へ。
 皇族が毎年利用するようになる。


・1899(明治33)年、徳冨蘆花が「不如帰」を発表。
 伊香保温泉が舞台となる。ベストセラーとなる。
 明治時代以降、竹久夢二夏目漱石与謝野晶子
 萩原朔太郎、野口雨情など文人が多く訪れている。


・1910(明治44)年、渋川から路面電車が開通。
 バスの台頭で1956(昭和31)年に全廃。


温泉饅頭伊香保温泉が発祥の地。
 1910(明治44)年、「湯の花まんじゅう」を販売開始。


・1955(昭和30)年、観光協会の陳情によって
 日本最初のケーブルテレビが設置された。


・昭和30年代より増え続ける観光客に向けて
 新温泉街を建設造成する計画が立てられる。
 1964(昭和39)年、抽選で旅館経営の許可が出される。


・2004(平成16)年、日本各地で温泉偽装問題。
 伊香保温泉もまた水道水を使用しているにもかかわらず
 温泉表示を行っていた温泉があったと報道されて注目を集めた。


その他、役に立ちそうなサイトをいくつか。


・「伊香保づくし」伊香保温泉旅館協同組合
  http://www.hotels-ikaho.or.jp/


・「伊香保の歴史・文化・芸術」渋川伊香保温泉観光協会
  http://www.ikaho-kankou.com/culture.cfm


・「伊香保の歴史」
  http://www.fukuzen.com/history.html


探すと、こういうのも。


イカホの名前の由来。
 *アイヌ語イカホップ(たぎる湯)からきている
 *上州名物のイカヅチ(雷)と、燃える火(ホ)と関連がある


・「伊香保の街」与謝野晶子 1915(大正4)年


 榛名山の一角に、段また段を成して、
 羅馬時代の野外劇場の如く、
 斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、
 屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
 すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が
 柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。
 街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
 長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
 Hの字を無数に積み上げて、
 殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。