日曜の午後

日曜の午後。そう、日曜の午後だった。
夜勤から帰ってきて寝ていたところを娘に起こされる。
動物園に行きたいのだという。
この日は妻も休みだったから、3人で出かけることにした。
4月とはいえまだ肌寒い日だったから上に薄手のコートを羽織った。
娘を真ん中にして両側から手をつないで歩いた。


2駅乗って乗り換えてまた2駅乗る。
そこからさらに20分ほど動物園行きのバスに乗る。
見慣れた風景のようでいて、見覚えのない区画があちこちにあった。
終点まで乗っていたのは僕ら家族だけだった。
多くの人たちは途中の団地で下りていった。


娘にお金を渡して、窓口で入場券を買わせた。
一人ずつ、ゲートをくぐった。
大きな鳥かごの中にフラミンゴがいて、その隣がクジャクだった。
通りを渡った先にはチンパンジーやオランウータンがいた。
奥のほうにホッキョクグマがのそのそと動き回る水色の山が見えた。
檻の前に立つたびに「あれはなに?」と娘に質問をした。
娘は「あれはわに」「あれはこあら」とひとつひとつ正しく答えた。
よしよし偉いと頭をクシャクシャさせると嫌がって駈け出した。


それがすぐにも立ち止まって、「わー」と言いながら
それまでで最も大きな檻の前で振り向いた。
「パパ! パパ!」
僕は妻と並んで歩きながらゆっくりと近付いた。


初めて見る生き物だった。
灰色で皺だらけの胴体がとてつもなく大きい。
座布団のような耳をヒラヒラさせている。
何よりも奇妙なのは鼻が消防車のホースのように長く伸びていることだった。
そして口の脇から白い丸まった牙が生えていた。左側のほうが途中で折れていた。
(なんだ、こりゃ…)
こんな未知の動物が普通の町の普通の動物園にいていいのだろうか?
ちょうどそのときが餌をやるタイミングで、
檻の中に入った飼育係がバケツに入った干し草の束を地面に広げた。
その動物は鼻を器用に動かして干し草を口元に運んだ。
…こんな変なの見たことない。
子供の頃には動物図鑑ばかり読んで動物博士と呼ばれていたというのに。


なんだか寒気がする。
皆、平然として檻の前に立って指差したり、
小さなボタンのたくさん付いた細長い何かで写真を撮ったりしている。
あちこちからカシャカシャという音が聞こえた。
集まっていた子供の一人が飼育係から受け取った
見慣れない真っ赤な果物を檻の前に差し出すと、
象はそこまで鼻を伸ばして受け取った。周りにいた誰もが拍手をした。


娘が大きな文字で書かれた立て札を読む。
「はなちゃん。ねえ、このぞうさん、はなちゃんっていうんだって」
ぞうさん?)
僕はそれとなく、娘にこの動物の名前をもう一度聞いた。
娘は不思議そうにしながら「もー」って感じで「ぞうさん」と答えた。
(そうか、やはりこの動物はぞうさんと言うのか…)


僕は妻にそっと尋ねる。
「ねえ、この動物…、前からいたっけ?」
「え?」と驚く。なに? と言い出そうとして言えずにいるような顔をした。
何かがおかしい。僕だけがこの動物のことを知らない。
「どうしたの? さっきから顔色悪いよ」


(顔色… それってなんだ? 顔の色のことか? 皆同じ色じゃないか。
 いや、そもそも、いろってなんだ。
 いろ。い、ろ… ぼ、く… い、ろ…)


…いや、ベンチに座って休んでいるうちに寒気がひいて、目眩が治まっていった。
僕は僕だ。顔色は顔色だ。顔色を窺う、の顔色だ。
大丈夫だ。僕は大丈夫だ。
妻が買ってきた温かな、缶に入った黒くて苦い飲み物を飲んだ。
一息ついてまた僕たちは動物たちでいっぱいの、ここ、その中を歩いた。


またさっきの動物のところに来た。
「かたぐるまして」と娘は言う。「このまえしてくれたよ」
ああ、覚えている。肩車のこと。これまでに何度でもしてやった。
僕は娘を抱き上げると肩の上に乗せた。
「ほうら、高い高ーい」
キャッキャッと娘は喜んだ。


日が傾き始めていた。
鼻の長いあれがのそのそと黒くて細長い棒の束のなかをあるいていた。


ぼくはとなりにたっていたじょせいと、
こどもと、いっしょに、いっ、しょに…