雪国で育った僕らは冬、外が吹雪で中が暖房が入って温かいと
窓一面に細かい水滴が幕のように覆っていて、
そこに絵や文字を書くのが楽しかった。
あることをきっかけにそれを懐かしく思った。
ストーブの効いた温かい部屋の中
時間がたつと字が滲んだり、大きな水滴が下に垂れ下がったりして、
やがて崩れていく。
寒ければ逆にまた水滴で覆われるようになる。
書かれた文字や絵は薄く、ぼんやりしていって消えていく。
バランスを取るのが難しい。


どちらにせよ素朴なコミュニケーションの一形態。
ササッと正確に伝わるのがよしとされるコミュニケーションもあれば、
不自由さや制約があるからこそ面白くなるコミュニケーションもある。
消えてしまうものだからこそ、書けることがある、ということ。
これを実現できるアプリがあってもいいなと思う。
SNSとは別のメッセージツール。
いや、あるのか。僕が知らないだけで。


逆にこういうの、南国だと何に書くのだろう。
台風が来た時に風に言葉を託すとか。
いや、砂の上か。
満潮があって干潮があって、押し寄せる波にかき消される。


電子データ化されていつまでも半永久的に残り続けるというのは
無粋なことなのかもしれない。
保存した瞬間は便利なようでいて、
時間が経つにつれてそれはノイズと化していく。
文脈が剥ぎ取られ、意味を失っていく。
ネット上を流れていく情報には
流通期限をつけるべきではないかという議論があった。
確かにそれは必要だ。