サミュエル・ベケットについて考える

サミュエル・ベケットについて考える。


・ダブリンに生まれ、パリに移住。
 最初は英語で書いた。後にフランス語で書くようになった。
 母国語とは違う言語で作品を書いた作家の系譜。
 ジョーゼフ・コンラッドウラジーミル・ナボコフ


・『ゴドーを待ちながら』に代表されるように
 イヨネスコと並んで20世紀の不条理演劇の代表格。
 ヌーヴォー・ロマン、アンチ・ロマンの小説家にもカテゴライズされる。
 代表作『マーフィー』『ワット』『モロイ』『マロウンは死ぬ』『名づけえぬもの』は
 一見単調で的外れな描写の繰り返しのようでいて
 小説や物語という枠組みを揺さ振り、徹底的な不信を投げかけている。
 何もない、というものがある。何も起きない、ということが起きている。
 その間にあるゼロではない何かの多様性。
 そこにどれだけの言葉を尽くせるか。
 1969年のノーベル文学賞。この年というのが20世紀文学にとって暗示的。


1906年に生まれて1989年に亡くなった。案外長生きしている。
 同じダブリン出身ゆえかジェームズ・ジョイスとの親交が厚い。
 第二次体戦中はフランスでレジスタンス活動を行う。
 そういえば見知らぬ男に突然ナイフで刺されるという体験がある。
 ここから不条理演劇、不条理文学が生まれたのだろうか?


別なことも思い出す。
高校時代、常に学年で一番を取っていた女の子がいた。
3年間で他の誰かが一番になったのは数えるぐらいだ。
僕も最終的には文系で5番まで駆け上がった。
それでも合計で200点近く引き離されていた。
雲の上の人だった。
大人しくてずっと本を読んでいたんだったか。
一人でいるか、何人かの心を許す友だちと一緒にいるか。
クラスが違ったこともあって僕は一度も話したことがない。


当然のごとく現役で東大へ。
誰かに聞いた話では大学院に行ってサミュエル・ベケットの研究がしたいという。
その頃の僕はベケットの名前もゴドーもうろ覚えだった。
その後のことは知らない。どこでどうしているのか。
予定通り研究者の道を歩んだのか、今も続けているのか。


なんで雪深い青森で生まれ育ってベケットやゴドーなんだろう?
いつもそういうことを思う。
僕も大人になって上で書いた代表作は一通り読んだ。
この世界はよくわからない。言葉にするとなおさらわからない。
わかりやすい共通ルールなど、存在しない。
そんな僕らもまた、来るはずのない何かを待ちながら生きている。
生きてきた。もう何十年も生きてきた。
そんなことを思う。