林家木久扇と林家たい平

結婚してからまた「笑点」を見るようになった。
日曜の夕方、缶ビールを飲みながら。
ふたりで過ごす時間のひとつ。


当時青森で映る2局しかない民放のうちのひとつということで
小学生や中学生のときもよく見ていた。
その頃から林家木久扇(当時は木久蔵)のことが好きで、それは今も変わらない。
余りにもナンセンスすぎて。ぶっとんでいる。
世間では桂歌丸師匠の健康問題が取りざたされているが、木久扇師匠の方がもっとやばい。
手を上げて「はい、きくちゃん」と呼ばれて「えー、わすれました」とか。
御年78歳。


先日、見終わった後で持ちネタの河童の真似やミネソタの卵売りの話になった。
「あれは難易度が高い。熟練の技」と妻が言う。
林家たい平ふなっしーとはわけが違う」
そうだな。適当なようでいて懐が広い。
「きくちゃんの頭の回線の切れるタイミングは計算だけど、
たい平のふなっしーネタは力任せ。それを玄人は好まない」
なっしーと叫びながら三遊亭円楽春風亭昇太の座布団めがけて横っ飛び。
確かに見てて、「またか、しょうがねえなあ」と苦笑してしまう。
一方できくちゃんにはさらりとした「軽み」とでも呼ぶべきものがある。
後を引かない。毎回出てきても受け流せる。
笑点メンバーそれぞれ役割がある中でふたりを対比的に見せているのだろう。


それにしてもたい平、力任せすぎるよな。
でも人気がある。子どもたちを中心に。
地方であれ東京であれ公開収録の際は必ず一度はやらないといけないんだろうなー。
1回につき2本収録しているから、毎週ではなく隔週でふなっしーネタが登場することになる。
失敗したときには楽屋で絞られているかもしれない。
意外と三遊亭小遊三や林家好楽辺りが説教してたりして。


「たぶん彼的にはこん平師匠の立ち位置を意識しているのではないかと」
ああ、「ちゃっらーん」ね。そう、それでいいのに。
その人にしかない一言、あるいは河童のように普遍的なもの。
それがトレードマークになってずっとやっていける。
ふなっしーは時代の浮き沈みがあるからリスキーだ。
しかしそれも若さゆえか。ああいう無鉄砲さも味のうち。
余計なことを考えて何もしない若手よりも100倍いい。
とはいえ、そろそろふなっしー以外のネタも開拓すべき頃。
一皮剥けてほしいなどとやきもきしてしまう。


その横で木久扇師匠は十年一昔のように
河童の物まねで笑いを取り続けている。
これぞ、芸か。