青森高校野球部訪問 その2

前の日寝たのは午前2時。なのに6時起き。またしても4時間睡眠。しかも若干二日酔い。
練習試合が10時から、部員が集まるのが8時だというので7時半に行くことにしていた。
朝食をかき込んで7時前に家を出る。ホタテの刺身が出た。
堤川に出て川沿いに歩く。
ボート部の生徒たちがジョギングしていた。
ふたつの川が合流するところにボート部の練習場があった。
土曜だというのに朝、こんな時間からか! 野球部だけじゃないんだな。
グラウンドに着くとサッカー部やテニス部も集まり始めていた。


野球部員が僕を見かけると一人一人が「おはようございます!」と大きな声で。
挨拶っていいもんだなとガラにもないことを思う。
野球部は練習を始めるが、撮影役の友人が来ない。
LINE で連絡してみたところ、今起きたと。
クラスメイトの友人が男の子を連れて見に来てくれる。
今日の対戦相手は田名部高校。バスに乗って8時過ぎに到着する。
下北半島のマサカリ型の付け根のところ。
この時間に来たということは野球部員たちは5時ぐらいに集合しているのではないか。


友人が9時前に到着して、野球部のマネージャーに案内してもらって校内を撮影する。
校長への許可を事前に取ってもらっている。
2年生になったというマネージャーと話しながら見て回る。
聞くと今は7クラスで280人。僕らの代は10クラスで一学年440人だったか。
狭き門となったというよりも少子化が進んでるということなんだろうな。
戸山高校も廃校になったというし。
修学旅行のことを聞くと今はあるという話で。やはり定番の大阪・京都。
ユニバーサルスタジオジャパンに行く。


僕等の頃は土足だったのが上履きを履き替えるように変わっていた。
建替え後の校舎はきれいで、何よりも明るい。
僕等のいた頃のどんよりと暗い雰囲気が払しょくされていた。
あの頃のまま残っているのは学食ぐらいか。
僕等の根城だった演劇部の部室はとうの昔になくなっていた。
図書室は鍵がかかっていたが、体育館ではバスケ部やバトミントン部が練習をしていた。
上の階の教室も覗いてみる。時間割を見てみると知らない名前ばかり。
僕等の頃の先生は皆入れ替わるか、定年退職したか。
四月の新歓の時期ということもあって放送部や茶道部のポスターが廊下に貼ってあった。
時代を反映してどことなく萌えっぽかったり、萌えそのものだったり。


10時より試合開始。ちゃんとウグイス嬢というかアナウンス担当のマネージャーがいて
スピーカーをセットしてマイクを使って打席に立った選手の名前を読み上げていた。
いきなり田名部高校に2点取られる。
なんだか守備が締まらないな、と思ったが最初のうちだけですぐに調子を取り戻していった。
結果、4−18で圧勝。
200000002
10560114X
と、宝くじの当選番号のようなスコアとなった。


勝ちが見えた7回から調子のよかったピッチャーを変えて、
別の守備を守っていた選手が1回ずつピッチャーへ。
実戦経験を積ませたかのだろうし、いろいろと試したいこともあったのだろう。
それが裏目に出て9回はストライクが入らず、押し出しで2点。
試合後の監督の話としては、最初と最後に点を取られるというのは集中してないからだと。
しかし3回、4回と打線爆発でさすが強豪校と呼ばれるだけあるなと。
地力の差を感じた。冬も室内練習場で練習しているというのはやはり大きな差を生むようだ。


観客が結構多く、聞くとOBなのだという。野球部の帽子をかぶっている人もちらほらといた。
あとは選手のお母さんたち。食事を用意しているようで、僕らもホットコーヒーをもらった。
午前の試合が終わって、弁当を食べた後は午後の試合へ。
僕等は休憩に入ってすぐグラウンドを後にした。


タクシーに乗って青森駅前へ。中三デパートの前で下してもらう。
友人が食べたいということで「くどうラーメン」に入る。
店の場所が隣に移っていた。 中学生以来だろうか。煮干しラーメンの老舗。
あっさりとした澄んだスープ。シンプルというより地味、余計なものが何もない。
小さな頃はその良さがわからなかったけど、今食べると古き良き懐かしい味。
チャーシューメンに煮卵を追加した。
今日これから帰るという友人とそこで別れた。


アウガの地下の酒屋で豊盃「ん」を見つけて買う。
一人一本まで。隅の方に隠すように置いてあった。
成田本店に寄って、歩いて帰ってくる。
母が銭湯に行くというので僕も一緒に行くことにした。
油川に住んでいた頃近くにあった銭湯と違ってここは温泉銭湯ではなかった。
でも十分温まった。
家に帰ってきて缶ビールを飲んでゆっくり過ごす。
夜は母の作ったカレー。