文庫の解説というもの

文庫の巻末の解説、いらないと思う。
というかいらないものが多すぎると思う。
読んでて参考になった、面白かったという解説に出会うことは 1/5 あるかないか。
9割方の解説はその内容の大半が要約とか引用で、
その要約の仕方が鮮やか、視点に唸るというのはほんの一握りだ。


ひどいのになると
ああ、これは依頼されて1ヶ月ぐらいは締切まであったはずなのに
ずっと忘れてたのを催促されて1時間で拾い読みして目に留まったことを書いただけだな、
というのがはっきり感じ取れるものもある。
そんな解説などいらない。紙と時間の無駄。
ネームバリューだけで選ばれてそんなことしてる書き手は淘汰されるべきだと思う。


世の中には解説から先に読むという人もいる。
ライフハック的にその方が「効率がいい」と説く人もいる。
ビジネス書ならばまだしも、小説であっても。
人それぞれだけど、それもなんだかなあと思う。
そういう人が増えているから解説が要約的、紹介的になるのか。


その本の中のものを(解説者の視点で)もう一度再構成する解説よりも
その本の外にあるものでその本の可能性を検証した解説の方がいい。
この本の内容を理解するにはこの著者のこの本が役に立つとか、
この本をきっかけにその分野をもっと読んでみたいならこの本がいいとか、そういうの。
本の目利き、その分野の目利きによるガイダンス。


あるいは全く別の次元のものとして、
著者と深い交友関係にある方がその本の成り立ちに関して意外なエピソードを語るとか。
もちろん、単なる解説者の自分語りではなく。


そういえば、詳しいことはこちらに書いたと解説者が自著の宣伝をするのは興ざめ。
自分の研究発表に終わることも時としてある。力量がなくてそれしか書けないんでしょうね。
解説者はその名前が前面に出てくるとしても、その本そのものに対しては主役ではないし、
黒子に徹しないといけない。舞台がうまく運ぶよう、人知れず努力しなければならない。
その意識のない解説が多すぎる。
一見謙虚なようでいて他人事のような、距離の遠すぎる解説というものもある。
踏み込みが足りない解説も、無用の長物だ。


それまでその本を読んでいた読者に最後にそっと寄り添い、
その本について軽く意見を交し合って去っていく。
そんな解説が理想だと思う。