レピッシュに見るプロデューサーとは?

気がつくと早いもので「温室」での TERRAIN VAGUE 明日となりました。
http://onshitsu.com/2017/06/10-125658.php


今回はプロデューサーをテーマとしてブライアン・イーノを取り上げましたが、
ふと思うに、プロデュースされる方はどうなのだろう? と。
いつ誰にプロデュースされるかで音の佇まいはかなり変わるものです。
どんなプロデューサーと出会うか、その巡り会わせに物語が生まれます。
ディヴィー・ジョーンズと名乗っていた青年は
トニー・ヴィスコンティと出会うことでデヴィッド・ボウイとなり、
U2ブライアン・イーノと出会った後に『The Joshua Tree』で世界的な存在へ。
化学反応が起きた時、プロデューサーって運命の導き手なんですよね。


ここでは、前回日本のパンクの時に取り上げたレピッシュを。
基本はセルフ・プロデュースなんですが、
節目節目で外から迎えることでステップアップしてきました。


レピッシュ - 胡蝶の夢
https://www.youtube.com/watch?v=2EaWLhgaD9I


2枚目『Wonder Book』の隠れた人気曲。
カラフルな音を若さと勢いで押しますが、どこか隙間も目立ちます。隙があるというか。
それもまた魅力なんですけどね。

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3枚目の『KARAKURI HOUSE』で突如、ニューヨークへ。
トッド・ラングレンのプロデュースを受けました。
ソロとしても「Hello It's Me」や「I Saw the Light」といった名曲を残し、
Grand Funk RailroadMeat Loaf を全米No.1規模に育てたり。
その分アクも強く、XTC『Skylarking』は名盤とされますが、喧嘩が絶えなかったと。


レピッシュトッド・ラングレンやニューヨークに強い影響を受け、
あの頃読んだ『PATi PATi』には
最初の頃地味だったベースの達はドレッドになって TATSU と名乗るようになったとか。


自己流でアマチュアくささの残っていた音は払拭され、
ポップの何たるかを学び、
演奏の足腰を鍛えてバンド全体がビルドアップされました。
その色彩感覚も輪郭がくっきりするようになったと思います。


LÄ-PPISCH - Control (PV)
https://www.youtube.com/watch?v=j9akMUoqW9U

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その後またセルフ・プロデュースが続きますが、7枚目ではホッピー神山を。
80年代に凄腕集団の PINK でデビューし、
その後メジャーでは氷室京介布袋寅泰といった大御所から
面白い存在ならば誰もまだ知らないインディーバンドまで
数多くプロデュースしています。


レピッシュもベテランとなって行き詰まった頃。
短い曲を中心に28曲とやりたい放題。
そういう環境をつくった、というだけでもプロデュースの力ですね。
あの頃の勢いを取り戻しました。


ホッピー神山は1枚目のプロデュースも手掛けてるんですよね。
でもあの頃のメンバーは
バンド外の人にあれこれ言われるのを快く思ってなかったのだとか。
それがようやく受け入れられるようになったと。


レピッシュ - プレゼント (Live) 1999
https://www.youtube.com/watch?v=o7_-XeltuEE


アルバムの中の音源ではなく、それからまたしばらくしてからのライヴですが。