「描き続けた“くらし” 戦争中の庶民の記録」

終戦記念日を挟んで、各局でドラマやドキュメンタリーが放送される。
昨晩、たまたまつけたNHK教育テレビのが秀逸だった。
ETV特集「描き続けた“くらし” 戦争中の庶民の記録」』
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259595/index.html


父と母と三人の息子、二人の娘。
東京に住むある一家の終戦までの3年間を
淡々とした、しかしどこか色彩感に満ちた絵と言葉で綴った日記。
戦争を「戦争」として捉え、声高に怒りや苦しみをぶつけることはない。
終戦の一年前、物資が欠乏し、疎開や空襲が始まるまで、
その浸食は非常にゆっくりとしたものだったことがわかる。
家の中で息子たちが相撲を取ったとか、庭の畑で息子が芋を作り始めたとか、
そういった日常が頁の一枚一枚綴られていく。


配給で久しぶりに肉が手に入って、どうしようかと悩む。
この前は細かくして少しずつ食べた。
今回は思い切ってすき焼きにして一度に食べたらどうかしらと母が言う。
またある時はビールの配給が数カ月ぶりに5リットル。
本当ならば店で飲み切らなければならないのだが、
店の主人と懇意であるため、こんなにあったら飲みきれないと焼酎の甕に入れて帰ってくる。
こっそり子どもたちと飲んだ。


各地が空襲を受けるようになり、長女だけが疎開することになった。
病気で伏せていることの多かった母が
向こうは寒いかもしれないと布団から起き上がって上に羽織るものを縫って送る。
その後面会できることになって母が一人行くことになる。
行けないので代わりに子どもたちに渡してほしいとたくさんの荷物を預かることになり、
大きな包みを背負っていく。空襲の混乱の中、心配した父は駅に迎えに行く。
しかし母の姿はない。雨が降って寒く風邪をひきそうになって帰る。
母は当初予定よりも二日遅れて、ひょっこり帰ってきた。
数カ月後、衰弱した娘を父は引き取りに行く。


戦時中の暮らしがどうだったかを知りたいと『暮しの手帖』が募集したのがきっかけで
父の日記が世に出ることになった。
1968年のこと。全国から1,700件以上の手紙や手記が寄せられた。
https://www.70seeds.jp/kurashi-no-techo/
この日記が今は入手可能かと調べてみるが、amazon では在庫切れだった。
勝矢武男『ある戦中生活の証言―画と文でつづる庶民史』


5月の東京大空襲で家族は皆無事だった。
全てが破壊しつくされた荒れ野原を描いた父は
家族への感謝や励ましを綴る。
そして迎えた終戦


その後の家族の写真が一枚。
父と母は80歳まで生きて、5人の子どもたちのうち4人がまだ存命だという。
戦争の悲惨さを前面に打ち出したドラマ、ドキュメンタリーよりも
「ああ、生きていたよかった」「その後平和に暮らせてよかった」と思った。
何気ない生活を何気ない生活のままに長い間続けることの方が難しいものなのだ。