油川のこと

『龍の伝言 ねぶた師列伝』を引き続き読んでいる。
津軽線で一駅目、油川のことがよく出てくる。
小が2年生から高校卒業まで住んでいた。
 
昭和21年の夏は各町内で青年団が中心となり、9台のねぶたを出したという。
(当時は今のように青森駅前の新町、国道に集結するのではなく
 各町内で小さなサイズをつくって担いでいた。その名残が子供ねぶたとなる)
終戦直前、青森市も大きな空襲を受けた。
油川がいち早く復興を遂げたのは港町だったからで、この頃は鰯が豊漁だったようだ。
福助屋、伊藤商店も商売を再開したという記述もあった。
(伊藤商店は今もあるのだろうか。福助屋は90年代後半頃か、閉店した)
 
僕も全然知らなかったんだけど、油川には飛行場があったのだと。
小学校や中学校で聞いた覚えはない。
いや、あったのかもしれないけど忘れてしまっているか。
イタリア人のファブリーさんが
大正時代に鰯の缶詰工場をつくった話は何度か聞いたことあったが。
 
ネットで検索してみると、ありがたいことに詳しく調べた方のページがあった。
「旧青森飛行場の歴史と現存する遺構」
「青森飛行場が存在したのは、青森市大字羽白字富田・字池上・字沢田(旧油川町)、
 大字西田沢(旧奥内村)の一帯である」
とあって、まさに僕が住んでいたところだった。
今は田んぼに囲まれた住宅地となっているが、その住宅地の大部分は飛行場だったのか。
その跡地に住んでいたのか。
 
歴史をかいつまむと、
・昭和8年竣工、完成後陸軍の演習で利用される。
昭和12年、民間による定期航路が開設される。東京、札幌、仙台と青森を結ぶ。
昭和15年定期航路廃止後、陸軍に接収される。
・昭和20年7月、飛行場も空襲を受ける。
・昭和20年8月終戦、9月米軍により接収される。
・昭和22年、飛行場跡地が引揚者の入植地となる。
 
『龍の伝言 ねぶた師列伝』に戻ると、
松前街道、つまり海沿いの国道には「こみせ」と呼ばれる木造のアーケードが立ち並び、
映画館もあったという。かつては活気のある町だった。
今となっては考えられない。すっかり寂れてしまって見る影もない。
内陸寄りにバイパスができて松前街道をゆく車も少なくなったか。
お年寄り向けの病院ばかりが増えた。
かろうじて田酒の西田酒造が残っている。
 
なんか今ふと、世界か日本で初めて七重跳びを達成した方が
油川出身で小学校か中学校で披露した、というのを思い出した。
僕自身が見たわけではなくて少し上の世代の出来事。
それも今となってはどうだったのか。
いろんなことがあやふやでもはや思い出せない。