理論的、構造的に小説を書く。そのひとつとして。
前にも書いたかもしれないですが。
かつて奥田民生がユニコーン時代の最後の頃にインタビューで答えたように、
歌うときドラムの音しか聞いてないと。
同じように、人は小説を読むというとき、
その背景にあるその世界に関する設定とそこから生まれる文体、
その中を生きる特徴的なキャラクターにまずは惹かれるのではないか。
ストーリーではない。
起承転結やセパレーション・イニシエーション・リターンといった型に表されるように
ストーリーそのものは馴染みのある分かりやすいものがいい。
世界に関する設定。
関が原の戦いの1年前であるとか。科学ではなくて魔法が発達したとか。
その部族は一切右手を使わず皆が左利きなのであるが、例外として…
これは作品全体に関する設定。
それとは別に、登場人物たちがどのような世界観に生きているかという設定がある。
歴史や真実がひとつではないように、世界はひとつではない。
ひとりひとりその世界観によって見え方が違う。
それらがどうぶつかりあって、どんな変化を迎えるか。
人は小説というものににそこのところを期待するのではないか。
例えば。
登場人物A:少女
幼い頃に両親を亡くし、親戚の間を転々としてきた。
口数が少なく、一人きり自然の中で過ごす時間を好む。
この世界がいつか終わってしまえばいいと考えている。
登場人物B:中年男性
これまで会社員として平凡に生きてきた。
どこかモラトリアム気味であって、結婚も車も家も興味がなかった。
それが40を過ぎて、こんな自分ではいけないのではないかとふと気付いた。
登場人物C:老女
夫を数年前に亡くし、山奥の小さな村で一人暮らしている。
今でこそ故郷に引っ込んでいるが、かつては大企業で働いていた。
子どもを原因不明の事故で亡くしたことをきっかけに都市を離れた。
そこに作品そのものの世界を足す。
海の向こうで始まった戦争は少しずつ少しずつこの国の日常を灰色のものにしていく。
そう遠くない未来、この国も巻き込まれそうだ。
こういう設定の組み合わせで、いくらでも小説は書けるのではないかと思う。
あとはこれらの人物がどう出会って、
どういう共通の目的を見出して、どういう対立が生まれて、どういう阻害要因が生まれて、
それがどう解決するか。そこから何を得るか。
その世界をどう生きるか。
この世界はこういうルールで成り立っているから、こういう制約が生まれてしまうという味付けが
それらを面白くする。
小説を書いてみたけどつまらないものになるというとき、
登場人物が双子のようでどれも同じ、一人からまた別の一人が派生しただけ、
というキャラクターになっているからということがある。
会話も予定調和な独り言になって、ストーリー展開を解説するだけになってしまう。
あるいは世界設定を「現代の東京」としてそれ以上考えず、平板なものにしてしまうとか。
「現代の東京」なら東京で、それがどういう場所なのかは根掘り葉掘り考えてみないといけない。
人口構成はどうなっているか。世代別のヒット商品は何か。
どういう社会問題があってどういうアプローチがあるか。
住む人はどんな希望や不安を抱えているか。
自明のものこそ、それが何であるのか考えてみる必要がある。