『田酒を醸す』

日曜の昼、西田酒造の出した写真集『田酒を醸す』を眺めて過ごした。
平成17年度の醸造の様子を写真家、名智健二が撮影している。
つきっきりで数十日共にして酒蔵を、というスタイルは
その前に「十四代」の高木酒造でも試みている。
残念ながら昨年亡くなられた。


「洗米浸漬」「蒸米放冷」「麹造り」「酒母造り」「純米醸造り」
「袋吊り・糟掛け」「火入れ・貯蔵」「瓶倒し・仕舞」
といった章立てで、
年末に始まる酒造りの工程の始まりから終わりまでを丁寧に、包み隠さず捉えている。
蔵によっては写真に撮られて嬉しくないところもあるだろうし、
この資料的価値は大きいのではないか。


すぐ近くで育ったものとしては、ああ、中はこうなっていたのかと知ることができたのが何よりも嬉しい。
黒い塀で囲まれ、子供心に無言の重みを感じていた。常にその門は閉ざされていた。
建物そのものを写した数少ない写真のひとつに深い雪とツララで覆われた入口の風景があった。
すぐ側にバス停があるんですよね。
建物から伸びた庇の下にベンチがあって、囲いがあって、
吹雪の日であっても雪をかぶることなくバスを待つことができた。


いろいろと知ることができた。
毎年その季節になると南部から杜氏を呼んでいたが、
今は社員制度として組織的に酒造りを行うようになった。
助手の多くが女性で、ここまで女性の関わる蔵は珍しい。
若手は住み込みの寮に暮らすが、年配の何人かは弘前のりんご農家で、
収穫が終わってひと段落すると西田酒造の元に集まるのだという。


個人的なこと。
中学の同級生が西田酒造で働いているといつか聞いたことがあった。
中学の頃、一番親しかった。一緒にブルーハーツを見に行った。
西田酒造の前は別のところで働いていた。
いくつかの職を経て、近くということで縁があったのだろう。


酒造りの写真を眺めているとき、彼の名前は見つからなかった。
各工程で取り上げられる麹屋、釜屋などの職人は皆実名で紹介されていた。
そうか、何かの間違いか既にやめてたんだろうな、と思った。
読み終わって最後のページに平成17年度の社員20人ほどの一覧が載っていた。
その中に彼の名前があった。直接的に酒造りを行わない、他の部門に属していた。
もう一度見返してみる。その年の酒造りが全て終わって写真総出の宴会が行われる。
その写真に彼の姿と名前があった。


もう12年前のことなので今どうしているかはわからない。
30歳か。土日もなく、年末年始もなく、僕も一番忙しく働いていた頃だった。
僕が会社で大晦日を迎えていたとき、
彼もまた様子を見るため、酒蔵で年を越していたのかもしれない。


「樽一」での落語会のときに来ていた西田酒造の方に聞いてみればよかった。