こんなことがあった

この前の日曜、こんなことがあった。


夕方買い物に出かけようとする。
冬なので妻が先に出て、車のエンジンを温めようとする。
二階にいて、何度かやり直しているのが聞こえる。
寒いとエンジンがかかりにくいのか。


みみたにカリカリをあげて、玄関を閉めて車庫へ。
妻がマニュアルのページをめくっている。
エンジンのボタンを押すとギャラギャギャギャと起動させる音は聞こえるが、
その先、つながってエンジンがブロロロロと立ち上がろうとしない。
三回ぐらい繰り返してようやくうまくいったかと思いきや、
キュルルルルという甲高い悲鳴のような音が。


車で出かけるのはやめにする。
スーパーまで行けたとしても帰りにまたエンジンがかからないというのは困るし、
道路の真ん中で車が止まってしまうと目が当てられない。
そう遠くは無いので歩いていくことにする。
妻がディーラーに電話をかける。この前車検に出したばかりだ。
状況を伝えると折り返しかかってくる。
すぐ近くなので30分後にメカニックの方が来てくれるという。
19時を過ぎているのに、申し訳ない。
妻の父にも電話して聞いてみる。
キュルルルルというのはベルトが立てている音ではないかと。
そう言われるとそんな感じだった。


スーパーでの買い物を終えて家に戻る。
すぐピンポンと鳴った。普段運転するのは妻なので、妻が応対する。
僕は二階で料理を作る。
話し声。何度かエンジンをかけている。うまくいった音が聞こえる。
話し声。何度かやり直す。
それでも点検のため、修理に持っていくのだろうか。
妻が二階に上がってくる。
問題なくエンジンがかかって、今回は様子見となったという。


なんでだろう。なぜさっきだけかからなかったのか。
出来上がった鍋を突きながら話す。
死後の世界というものを真剣に考える方ではないが、
誰かが何かを伝えていたのではないか。
今運転してはいけないと。何かが起こると。
車に異常はなくても、交差点を渡ろうとしたら居眠り運転の車が突っ込んできていたかもしれない。
信じるとか信じないとか、論理的とか非論理的とかに関係なく、
そういう声には耳を傾けるべきなのだ。


それまで乗っていた車を義父が譲ってくれることになり、来週東京まで運転してくることになっていた。
僕らが今乗っている、例の車に乗って熊本に帰り、向こうで車を売ると。
この状態では危険ではないか、長距離だし何が起こるかわからないと
義父たちは飛行機で帰り、車はこちらで売ることにした。


そのときふと気付く。
売られて欲しくない、まだ走りたい、という車の意思表示だったのか。
その悲痛な叫びがキュルルルルという音として現れた。
死後の世界についてはわからない。
しかし、長年使い続けた愛着のあるものに魂が宿るというのは、あるのかもしれない。


月曜の夜、東京も大雪。
こういう状況では車で迎えに来てもらうわけにも行かず…