The Stone Roses

15時に『Lazy Sunday』を聞き終えて、次の番組は特に DJ はなく、
曲がミックスで掛かっているだけだったか。
The Stones Roses「This is the One」が、
あのキラキラした清流のようなギターが流れた。
散歩に出ようと思っていた時だったから、iPhone でアルバムを聞きながら外に出た。
もちろん常備している。
僕ら40台前半の世代で10代半ばにギターポップ系のロックに目覚めていたら、
あの1枚目は時代を超えた名盤として今も心に焼き付いているはずだ。


1989年発表。突然現れたロックの救世主のような扱いだった。
ビッグビジネスとして肥大化したスタジアムロック
MTVの流れからユーロビートへ、大衆消費材としてのダンスミュージック。
ギターを手に取って今日から始める、
若者たちの DIY 的なロックを取り巻く状況はとくにイギリスで八方塞がりだった。
The Smiths に代表されるように繊細で内向的な美意識を持つものがもてはやされた。


The Stone Roses の登場は音楽的に全く新しいもの、ではなかった。
所詮はインディーズ系のその辺のバンドであった。
存在の仕方や物事の考え方、そこから生まれる方法論が新しかった。
ポイントは3つあった。
幼なじみが地元マンチェスターで結成したバンドが、
突然変異的に神々しいまでのバンドマジックを宿していたこと。
あの日、あのメンバーで、あのスタジオであの曲を演奏して録音しなかったら
この世界はつまらない方向に変わっていただろう、と言いきれるぐらいのものがあった。
若さゆえの不安とその裏返しの不遜が表裏一体になったリアルな姿が、美しかった。


もうひとつは、文学的で内向的な資質は根っこに宿しつつも、
あっけらかんと開かれたものがあって、
ダンスのビート、グルーヴをしなやかに取り入れていたこと。
ぎこちなくもどこか享楽的であった。
「僕らはダンスミュージックを敵視するのではなく、興味をもっていいんだ」
というのは当時ひとつの新しい発見であって、
その後は雨後の筍のようにインディ系のバンドがダンスミュージックに接近していく。
New Order『Tecknique』という先例も当時はあった。


最後のひとつは、ヴォーカルのイアン・ブラウンがちゃんと歌えない、
というかはっきり言ってしまうと音痴だったこと。有名な話だ。
DVD を見ると余りのひどさに驚いてしまう。音程をキープできない。
ギターもベースもドラムもインディ系では当時随一の演奏力だった。
しかしそこで歌うフロントマンが、まるで僕らが歌うかのように普通過ぎた。
特別に歌のうまい人でないと歌っちゃいけない、ステージに立っちゃいけない、
という思い込みを軽々と打破してみせた。
ゆえにイアン・ブラウンはカリスマとなり、日本でも当時よくアニキと呼ばれていた。
ビッグマウスのキャラクターも良かった。


The Stones Roses が開けた風穴は大きかった。
マンチェスターというだけで青田買いされた。
あの頃、ロック系の雑誌は The Stone Roses と Jesus Jones 一色だったなあ。
Jesus Jones はもっと大胆にダンスミュージックそのものと同化していた。
派手な話題を振りまいた時代のあだ花となり(『ツルモク独身寮』で寮長のおじいさんが真似したりとか)、
3枚のアルバムを出して消えてしまった。
今は余り省みられることはない。
もしかしたら今こそ聞き返すべきバンドなのかもしれない。


もう一枚忘れられないのは Prefab Sprout『Jordan : The Comeback』もこの頃で、
ミュージシャンの間で絶賛されていた。
フリッパーズギターのどちらかもその年のフェイヴァリットに挙げていたと思う。


The Stone Roses はレーベルを移籍、
かなりじらされた挙句まんをじして2枚目のアルバムを発表。
演奏力や曲の構成だとかいろんなものがうまくなっていたけど、一枚目のマジックはもはや残っていなかった。
その後空中分解。
しかし彼らが切り開いた道筋を若いバンドたちが続々と進んでいった。
それはやがてよくも悪くも90年代半ばにブリットポップと呼ばれるようになる。
OasisBlur」なんてのが一大ニュースだった。同時発売のシングルのどちらが一位を獲得するか。
その間隙を縫って Radiohead が登場する。
英ロックが最後の輝きを放った時代であった。