海の向こうで戦争が始まる

昨日の韓国が「GSOMIA」を破棄というニュース。
(日韓防衛当局間で軍事機密のやりとりを可能にする軍事情報包括保護協定とのこと)
 
ああ、こんなふうにして
案外、来年の今頃は日本と韓国とが戦争が交戦状態にあって
阿部首相がかつて言ったところの「わが軍」が戦地に赴いている、
日本か韓国かその間のどこかで死んでいく、
そんな光景を僕らはネットニュースやテレビで眺めながら暮らしている、
そうなってもおかしくはないな……、と思った。
 
この世界の片隅に』であれ、どんな戦争映画でもそうだが、
戦争というものは何もないところからいきなり突然始まるのではなく、
日々少しずつ少しずつ気が付かないぐらいのスピードで状況が悪化していって、
後戻りできなくなる決定的なポイントに差し掛かっても
その時にはわからないまま。
そこを過ぎてしまうとあとは一気に下り坂を転げ落ちていく。
 
今、そういう悪化をひとつひとつ積み重ねていってるんだなと。
数週間前、日本が韓国を貿易上の優遇対象国のリストから外したとか、
いや、それ以前に数年前から
韓国に対するヘイトスピーチを白昼公然と駅前で行う団体が増えたなとか。
僕ら自身の多くはおそらく韓国や韓国人に対してなんらネガティブな感情を抱いていない。
ヘイトスピーチを僕らの日常の「例外」と捉え、
今回のような政府間の攻防をブラウザやテレビの向こうの出来事のように思う。
そのうちに、取り返しのつかないことになってしまう。
サイレントマジョリティーはただ巻き込まれるだけ。
 
どうにかできないものか。
今、世界的に「○○が気に入らない」「○○を排斥しろ」という
極端な意見ばかりが注目され、
サイレントマジョリティーがそこに与することはない一方で
同調するごく一部の極端なコメントが群がっていき、
ひとつの流れを形成していく。
下手に関わると痛い目に会うから僕も含めて皆、見てみぬふりをする。
戦争が始まったとき、僕らはそこに責任を、その痛みを感じるだろうか。
ただ、何もできなかったという徒労感だけが残るのか。
 
来年の今頃、どうなっているだろう。
誰が流れを変えてくれるのだろう。
待っているだけだと、戦争が始まってしまう。