4月29日(火)ライズXで。定員36名だったかが満席だった。
もうちょっと大きい場所で上映してもよかったかもね。
ヘンリー・ダーガーは今や
アウトサイダーアートの巨匠、と言ってもいいだろうか。
1月7日に書いたことをそのまま繰り返します。
「非現実の王国で」として知られる約15000ページにも及ぶ絵物語を
1911年19歳にして書き始め、1973年に81歳で亡くなるまでに
アパートの1室で1人きり誰にも知られることなく執筆。正式名称は
「非現実の王国における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、
あるいはグランデリニアン大戦争、
あるいは子供奴隷の反乱に起因するグランデコ対アビアニアン戦争」
その生涯を描くドキュメンタリー。
しかも「ヴィヴィアン・ガールズ」の物語がアニメとなって再現される。
天涯孤独の身だったから、残された写真は晩年の3枚のみ。
記録映像無し。
そんな状況でよくもまあドキュメンタリーをつくる気になったもんだと感心する。
それって要するに「それだけの魅力、価値がある」ってことなんだよな。
記録映像として今の人たちに、そして後の人たちに伝えなくてはならないと心動かす何か。
1970年代初期より今に至るまで続く、
ヘンリー・ダーガーという名の芸術を埋もれさせるわけにはいかないという思い。
ヘンリー・ダーガーの住んでいた部屋(2000年まで保存していたが、取り壊された)の映像、
隣人たちの証言、そしてアニメーション。
たったこれだけで語ろうとするには無理があったか。
だけど、こういう人がいたという事実を知らずにいた人には
十分すぎるほどのインパクトがあると思う。
劇場には現代アートファンっぽい若者が多かった。
恐らく、ヘンリー・ダーガーの「芸術」はその経歴と共に
これから先も多くの孤独な人々を惹きつけ続けるのだろう。
興味を持った人は映画のサイトを見てみてください。ギャラリーがあります。
http://henry-darger.com/
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一昨年たまたま出会って以来、アウトサイダーアートへの関心が尽きない。
画集を見つけると買ってしまう。
見てて空恐ろしくなる。
この世界は「常人にとってのルール」とでも呼ぶべきものを通して眺めているに過ぎない。
画一化を強いられ、僕らは無条件に受け入れる。
そうしないことには、僕らは何も語れなくなってしまうから。
はみ出すとしても、一定の枠の中で。
それを人は個性と呼ぶ。
しかし、本来その光景は一人一人にとって違うものであるべきだ。
端的に言って心の病で、あるいは「正式」な美術教育を受けていないことで
制約無しに描かれるこの世界、その風景のいかに危ういものであるか。
美しい、とは言わない。そうは思わない。
むしろ、恐ろしい。
ヘンリー・ダーガーの絵も、そうだ。
色遣いがきれいだ、題材がユニークだ、と語ることはよくても、
美しいと呼んではならない何かがある。
これを美しいと呼んでしまっていいのだろうか?
呼んでしまったならば自分は
「人とは違うんじゃないか、この世界で生きていけなくなるんじゃないか?」
・・・そういう恐怖心が心のどこかに仕舞われているのだということ、
そしてそこから生み出される、
自分もまた社会のルールに盲目的に従って生きていることへの嫌悪。
いろんな思いが一緒くたになった混乱の中に突き落とされそうで。
いつだって判断を留保する。
その一方で覗き見てはならない禁じられたものを見つめるという愉悦があって。
そう、本質的に社会に混乱をもたらすものだから、それは禁じられるべきものなのだ。
僕らはアウトサイダーアートに向かい合うとき、
「真実とは1つではないのだ」ということを知る。
そしてそれはどこかの誰かにとって、非常に都合の悪いものだ。
従順な僕らは自分で自分に規制をかける。
そして自らすり抜けようとする。
二律背反の論理を弄ぶことの気持ちよさ。
そこに陥ってゆく。
取り扱いに、要注意。