昨晩は探偵ナイトスクープを見終わって寝たのは午前1時半か。
5時頃一度目が覚めて、7時に目覚ましが鳴る。
この日8時には部屋を出て8時半過ぎの
1階のフロント横の会場で朝食。
ここはなぜかあるスリランカカレーがおいしくてそれだけで満足する。
思ったよりもしょっぱくスパイシー。食べているうちにちょうどよくなる。
8時、ホテルを出る。天神の駅まで歩いていく。
8:29 快速西唐津行きに乗る。
地上に出てしばらくすると海沿いを走った。
9:33 唐津着。早いうちに座ることができてよかった。
9月の広島、宮島行きがそうだったように乗っている人のほとんどが唐津くんちに向かう。
天神から一時間近く立っている人も多かった。
改札を出ようとすると行列になってなかなか出られなかった。
昨晩飲んだNさんも急遽参加することになり、改札で待ち合わせ。
駅を出ると駅前の通りに沿って屋台が並んでいる。
イカ焼き全身が500円、たこ焼き6個が300円と安い。
人の流れに乗って歩いているうちに寂れた、わずかばかりのアーケード街に出る。
店は唐津くんちで皆しまってシャッターが下りている。
いくつか古い建物は貸店舗となっていた。
太鼓の音が聞こえてくる方へ。飲み屋街となる。
店のドアが開いて法被を着たおやじさんが顔を覗かせる。
人だかりのする通りに着くと旧唐津銀行の前。
法被姿の子供たちの集団がエイヤエイヤという掛け声で綱を引っ張り、
その後方、大人の男たちが曳山を動かしている。
時には威勢よく走って見せ場を作り、時にはゆっくりと歩いて緩急を出す。
14あるうちの4番目、義経の兜だった。
雨がポツポツと降っていた時があったからシャワーキャップのように大きなビニールに袋をかぶっていた。
曳山は大きなものだと2トン近いという。
曳き子は子どもも含めて各町内100人以上はいただろうか。
太鼓を叩く大人もいるし、まだ小さい子供は曳山の中に入り込んで眠っていた。
2日は「宵曳山」と呼び、夜、中心部のバスセンターから曳山が各町内へ曳かれていき、唐津神社に戻る。
3日の「御旅所神幸」は朝、唐津神社を出て各町内を練り歩き神社の奥の御旅所に集合、また各町内に戻る。
4日の「翌日祭」は朝、唐津神社からまた町内へ、曳山展示場へと戻っていく。
3日は神社の神輿のお供としての曳山だけど、4日は神輿なしで曳山だけとなる。
各町内のもつ曳山は14台あって、古くは江戸時代につくられたものが今も守られている。
鹿沼市の彫刻屋台を思い出す。
この14台を唐津市のチラシから抜き出すと
1番曳山「赤獅子」刀町 文政2年(1819)
2番曳山「青獅子」中町 文政7年(1824)
3番曳山「亀と浦島太郎」材木町 天保12年(1841)
5番曳山「鯛」魚屋町 弘化2年(1845)
6番曳山「鳳凰丸」大石町 弘化3年(1846)
7番曳山「飛龍」新町 弘化3年(1846)
8番曳山「金獅子」弘化4年(1847)
9番曳山「武田信玄の兜」木綿町 元治元年(1864)
10番曳山「上杉謙信の兜」平野町 明治2年(1869)
12番曳山「珠取獅子」京町 明治8年(1875)
13番曳山「鯱」水主町 明治9年(1876)
14番曳山「七宝丸」明治9年(1876)
歴史の古い順に並んでいて、この順番で町を行く。
人気があるのは5番目の真っ赤な大きな鯛で(他の町では「金魚」と呼んで揶揄するようだ)
脇についた大人が綱を引っ張ってその体を上下させて水を撥ねているように見せる。
7番目の飛竜も魚と龍が合体したような姿でやはり上下させる。
運行間隔を調整するために通りの先で先頭の曳山と曳き子が止まって、2台目3台目と通りにたまっていく。
僕らが立っていたところに7台目が止まって、
この場所ではこれ以上見れないだろうということになった。
妻を今回呼んでくれた先輩のところに向かうため、アーケード街に戻る。
チラシの地図に記載されたルートを見ると30分後に通ることになっている。
混みだす前にここで待っていい位置で見ることにした。
チラシを見ると唐津くんちのアプリがあって、インストールすると各曳山が現在どこにいるかが表示された。
これは便利だった。しかも各曳山がそのままアイコンになっている。
あちこちで曳山をプリントしたTシャツや曳山を模した帽子が売られていて、
外国人観光客が何人かこの帽子をかぶって楽しんでいた。
待っていると妻の先輩が来て、一緒に見る。
昨日の夜も今日の朝もずっとお振舞いの仕込みをしていたという。
男たちが外で曳山を引いて
(町内によって女の子は高校生まで曳けるところから一切男性のみのところまである)
女たちは家の中で料理を用意して客をもてなす。
長いことずっとそういうしきたりだった。
アーケードの通りを曳山と曳き子たちが賑やかに通り過ぎていく。
アーケードにぶつからないよう皆一度立ち止まって一休みして、
魚だと尾びれの位置を下げたりしてからまた掛け声をあげてくぐり抜けていく。
4台ほど行くと神主が無言で乗った神社の神輿が2台ずつ静かに通り過ぎて、
賽銭箱代わりの桶を持った子供たちが続いて、また次の曳山へ。
曳山なしで綱だけを小さい子供たちが曳いているというのもあった。
お年玉を親が預かって袋だけ子どもたちがもらったような感じでかわいらしかった。