ちょっとねぶたについて調べてみるかと思い、まずは新書をと Amazon から取り寄せてみる。
河合清子著『ねぶた祭 ――”ねぶた”』(角川Oneテーマ21 / 2010年)
青森市で育っているからねぶたは身近なもの、肌感覚でよく知っている…、
というつもりが、いきなりこれまで気づいていなかったことが出てきて驚く。
引用します。
「青森ねぶた祭の特色の一つは、寺社が司る祭ではないことかもしれません。
青森の街ができてから、自然発生的に行われるようになった祭なのです。
(途中省略)
神様を祀る祭ではないので、参加者は、神社の氏子であったり、
寺の檀家である必要はありません。
それは本当に誇張ではなく、その日初めて青森を訪れた観光客でさえ、
衣装さえ着ければハネトとして参加することができます」
(p.19-20)
そういえば、そうか。
青森市には善知鳥神社という有名な神社があるが、ここが中心となっているわけではない。
青森市のもの、だとは漠然と思っていた。
町内会の神輿を拡大したもの。
でもそれも誰だって参加できるわけではなく、
その町内会に入っている人、ないしはその紹介がないと神輿を担ぐことはできない。
なぜ青森ねぶたは誰が跳ねてもいいのかというと、僕は違うことを考えていた。
ケンケンパッと跳びはねるだけなので
誰でもいきなり練習なしにその場で始めることができる。
多少足元が覚束なくても誰も気にしない。
・阿波踊りのような「連」がない。
グループごとに振り付けが違うということもない。
多い日で22台のねぶたが運行されるが、どこも跳ね方は同じ。
自衛隊のグループだから、JRのグループだから、とか、
テーマが三国志の誰それだから、というので変わることもない。
空いてたらこの22台の前後のどこに入ってもいい。
・冬が長く厳しいからか津軽の人たちは普段、寡黙で排他的であるように思う。
それが祭というハレの数日、
裏返しになってオープンな性格になるのではないか。
もちろんこれらも理由の一部にはなりそうだけど、
一番大きいのは寺社の縛りがないということか。
いろんなことが腑に落ちた。
そう考えると祭の分類軸の一つとして、
オープンなものとクローズドなもの、どこに属しているのか、というのがあるんだな。
あるいは、その中心に神様がいるかどうか。
そう考えるとこの国の多くの伝統的な祭はクローズドなものとなりそう。
一方で団地の中の祭は中心に神様を持たない、
かといって誰でも自由に参加できるかというとなんかそれは難しい。
やはりクローズドなものとなる。
考えだすと、ここにはいろいろと興味深い問題がありそうだ。