熊本へ その2(大分県竹田市、臼杵市)

昨晩は焼酎を飲みながらクリント・イーストウッドの『拳銃無宿』をぼんやりと見て、
きじまりゅうたの『小腹すいてませんか?』にしようとしたら休み。
チャンネルを変えると『すべらない話』をやっていた。しまった。
最後の方で、見れたのは Gackt麒麟川島の2本のみ。
Gackt はさすがに面白く、別の話が MVS に選ばれた。
練馬に住んでたんですね。聞いたのはクリスマスにタクシーで帰るときの運転手の話。
お笑い向上委員会を見て寝る。
 
7時には起きるつもりが、目が覚めたら8時。
鼾をかいていたようで寝てると妻からエルボーが。
朝食。昨晩お汁粉が出て、今朝もお汁粉。
昨日11日は鏡開きだった。甘さ控えめでおいしかった。
他、バナナとリンゴのヨーグルトがけなど。亜麻仁油をかける。
サンデーモーニング』を見る。イラン情勢とゴーン被告の会見。
食べ終えてリビングのストーブの近くに行く猫のみみこがやってきて、
お尻をポンポンと叩くとニュッと突き出して尻尾もムクムクと。
 
9時半、家を出てドライブ。
この日は大分県竹田市の「丸福」という唐揚げの店に入って、その近くの岡城阯を見て、
同じく大分県臼杵市に移動して城下町を歩くという予定。
天気予報では朝から雨。途中ポツポツと降った。
阿蘇の方に進んでいって、南阿蘇村、阿蘇市と過ぎていく。
カーナビを見ると肥後本線には休止中とあって、
国道57号も途中、ミルクロードから迂回路へ。
赤橋と呼ばれる阿蘇大橋が地震で崩落、少し離れたところで新しく一から作っている側を通った。
外輪山が窓の向こうに広がる。
阿蘇市街に出て阿蘇神社の近くを過ぎる。
綺麗なペンションの並ぶ一画に出る。地震で建て直したのだろうと義父は言う。
 
山道を進むうちに熊本県から大分県に入る。竹田市
しばらく進むと「丸福」が見つかった。
12時前。駐車場はほぼいっぱい。
壁には「唐揚げ一筋50年」とあった。
「唐揚げS定食」にする。ももの唐揚げとはねの唐揚げひとつずつと
山盛りのご飯、鳥汁(鶏肉の入った味噌汁)。
10分ほどして運ばれてくる。
手羽先の唐揚げと聞いてたが、それぞれグローブ半分ずつの大きさがあって、
ふたつでまさにグローブ1個。手づかみでかぶりつく。
揚げたてで熱すぎてもてない。口の中に入れてもやけどしそうなくらい。
衣は白くサラサラしていてべたべたしていない。
鶏肉はしっとりしていてジューシー。
こんな唐揚げが世の中にあったとは……
唐揚げのイメージが変わった。餃子で言えば宇都宮の正嗣。
とり天、ホルモン煮込みもおいしかった。
周りの人たちが食べていたカツ丼やトンカツも気になる。また来たい。
 
岡城阯はその近く。100名城のひとつ。
Trip Adviser が選ぶ2018年の名城で5位、城跡部門では1位とポスターにあった。
妻は今年から100名城を回りたいとスタンプ台帳を持ってきていた。
スタンプを押してもらい、御城印も。
坂道を上って城跡へ。こけむした石垣、門の跡、櫓の跡を上っていくと背の低い草むらが広がる。
カラッとした侘しさがあった。
迷宮のように石段があちこちに続く様子はマチュピチュのようであった。
枯木を従えた石垣のアーチには、行ったことないけどドイツの古城を偲ばせるものがあった。
他の城跡を見たわけではないけど、ここが城跡1位というのはなんかよくわかるものがあった。
石垣は熊本城のようにきれいに切りそろえたものではなく、ごつごつと粗削り。
古びた切り株や太い根が突き出ているのを見ると植物の生命力はすごいなと思った。
裏の七曲りという坂道を下って行って駐車場に下りていった。
 
13時半。竹田の鄙びた城下町を出て、南に下って臼杵市を目指す。
疲れて大半をウトウトして過ごした。
吉四六の里とあるのを過ぎて、猿がひょっこり道端に立っているのを見た。
 
臼杵の城下町もこじんまりとして鄙びていた。
観光センターの駐車場に車を停めてセンターに入って観光パンフレットをもらう。
古くからの港町である臼杵は三浦按針ゆかりの地で、
三浦按針を主人公とする大河ドラマを! と署名活動を行っていた。
臼杵の町並みを歩く。
古い家が今も多く残っている。寺院が多く、町の中に普通に三重塔が立っている。
味噌・醤油の店が多く、蒲団の店、バーバーと呼ぶ方が似合いそうな昭和の佇まいの床屋、
その間にスペインバルやおしゃれなカフェ。そして名物のフグの店。
坂の多い鄙びた海辺の町、古い町並みの一部を若者たちが生まれ変わらせたモザイクのような町、
というと尾道を思い出す。大林宣彦監督が第二の故郷と呼んだのもよくわかった。
何もないと言えば何もない。だけど人が優しく、たおやかな時間が流れている。
 
観光センターでもらった地図を手に歩いていると妻が
自転車に乗ったおばさんに呼び止められ、どこに行こうとしてるの? と。
野上弥生子の記念館に行こうとしているというとわざわざ道案内してくれた。
記念館に入る。以前フェミニズムについて調べた時に
『青踏』の立ち上げに関わった人というイメージをもったぐらいで詳しいことは知らなかった。
99歳まで生きたこと、実家は大きな造り酒屋でお嬢様だったこと、
夏目漱石に学び、芥川龍之介と親交のあったことなどを知る。
 
記念館を見終わって隣の酒屋へ。小手川酒造。
酒蔵を見学させてもらった。
酒をつくらない時期に始めた分家の味噌・醤油づくりがフンドーキン醤油として
今や大きくなったが、本家はあくまで酒屋とのこと。
臼杵は空襲にも地震にもやられることがなかったため昔からの町がそのまま残っていて、
ゆえに今は何もない町となってしまったこと。
ナマコ壁の蔵はかなりの年代を経たもので斜めになりかけていたのを
ジャッキで持ち上げて柱を立て直したこと。
その後試飲。日本酒の原酒がおいしい。ロックで飲むといいという。
言われないと焼酎と間違えてしまいそう。一本買って帰ることにした。
33年物の焼酎やカストリ焼酎も飲ませてもらった。
店の看板猫「フク」ちゃんが丸まるとしてかわいらしかった。
その写真をラベルに貼った焼酎も売られていた。
 
裏の武家屋敷の並ぶ石畳の小さな通りも少し歩いてみた。
犬を連れた若い女性がすれ違う時にこんにちはと挨拶してくる。
廃寺が観光客向けの休憩所となっている。
坂道を上って行った先に旧家を買い取って古布でつくった雑貨を売る店があった。
ここの女主人の方も人がよく親切だった。
この家は見張り番の家だったこと、この辺りは阿蘇山の噴火した時の火山灰からできたことなど、
あれこれ教えてもらった。
妻のために古布でつくった髪留めを買った。
 
ぐるっと回って寄道してフンドーキンの工場? を外から見て
スナックのある通りなど歩いて観光センターに戻る。
たった2時間いただけだけど、すっかり臼杵のことが好きになった。
人がいい。町に流れる静かな時間がいい。
今度は四国からフェリーで渡ってきて何を目的とすることもなくただのんびり一泊か二泊したい。
 
17時半。3時間かけて帰る。
外はまだ明るかったのがすっかり暗くなる。
阿蘇カルデラの中の夜景、熊本市街の夜景を見た。
市内に戻って来てこれまで何回か入りに行った「水春」という温泉へ。