猫の尻尾は面白いなあと思う。
なんであんなに自由自在に動くんだろ。
ピンと伸びて高く突き上げたり、ぐにゃっとなったのを振ってみたり。
時々すごく長い猫をテレビで見かけるけど、
うちのみみたは短めで先が少し丸まっている。
なのであまり尻尾に表情がない。
それでもボールをくわえてきて投げてほしい時には、尻尾をヒクヒクさせてうれしそうだ。
妻の祖父だったか、そのような猫を「蔵の鍵を持っている」と呼んでいたと妻から聞いた。
昔の人は家が繁栄すると鍵のある猫を大切にした。
人間も尻尾を退化させず、長いのを持つべきだった。
表情と並んで重要なコミュニケーション手段となっただろう。
長い尻尾、短い尻尾、太い尻尾、細い尻尾。
体格に合わせて人それぞれ。
器用に動かせる人、そうじゃない人も様々か。
ズボンのお尻のところに穴が開いていて尻尾がニュッと伸びている。
電車の座席に乗っていると長い尻尾の人が前に持ってきて、巻いて膝の上に乗せているとか。
あるいはそれがむき出しになってるのは失礼に当たる、
ないしは寒いと袋の中にしまっておくとか。帽子のように。
F1のレーサーはコーナーに差し掛かるとき、
ハンドルを切るというよりもお尻の穴を微妙に動かすことで調整するのだという。
それが尻尾の先になる。あるいはその付け根か。
レーサーになりたかったが、尻尾が太くて不器用で泣く泣く諦めるということも出てくる。
逆に理想的な尻尾を持っているのに本人に興味がないということもあるだろう。
そんなふうに尻尾が成否を左右する職業も出てくる。
モデルになりたいのに、尻尾だけがどうも……、とか。
しかしそれを個性として売り出すというケースも。
鍛えたら電車の吊革に尻尾だけで掴まって全体重を支えるとか。
体操競技もそうですね。
手の指や目といったものを人間の知覚が利用するデバイスと考えるとき、
尻尾を不要としたというのは
受容する情報量や行動の選択肢が多くなりすぎるために
あえて選択肢を狭めたということなのではないかな。
僕みたいにギターを弾きながら歌うということができずにどちらか片方だけ、
という人間にはさらに尻尾というのは難易度が高すぎる。
たぶんそういうことなのだろう。