この世界をどれぐらい広いものと捉えるかでその人のことがわかる。
飛行機で世界中を飛び回っているけど移動という行為がそこにあるだけ、
宇宙のことは自分には関係ないという人もいるだろうし、
自分の生まれ育った村や町から出ることはほとんどなかったけど、
小さい頃に読んだ本の影響で絶えず宇宙のことを考えているという人もいるだろう。
海を目の前にしたときにその先を見てみたいという人もいるだろうし、
怖いなあと背を向ける人もいるだろう。
この世界は広いものと認識する一方で
自分という存在のちっぽけさをぼやいている人もいるだろうし、
狭い世界の中で他人を見下してばかりという人もいるだろう。
目に見えるものしか信じられないという人もいるし、
空想の中の世界にしか自分が見いだせないという人もいる。
この世界の全てが嘘だ、幻だ、と考える人もいる。
自分に見える範囲、認識できる範囲と
自分に見えない範囲、認識できない範囲とを
はっきり分けて考えることのできる人はどれぐらいいるだろう。
後者の存在をしっかりと感じ取れる人。
前者を広げたいという人もいれば、
後者を広げたいという人もいる。
視野の広さが多様性の広さだというとき、
それは確かに広い方がいい。
しかし色あせた現実の中から出られなくなって
目の前のひとつの選択肢しか選べなくなる、
受動的に受け入れることしかできなくなるということがある。
どうやったらそこから出られるのかわからない。
わからないというときが一番苦しい。
何かをきっかけに無我夢中になるときがあって
気が付いたらそこから抜け出ているか。
あるいは日々少しずつ多少の浮き沈みありつつ解消されていくのか。
この世界のことを考えている余裕もない。
そんな自分にどうやって気づいたらいいのか。
そんな自分を、この世界が優しくも厳しくも包み込んでいるのに
気づけないということ。
気づけないということ。