こういう話

世界の果てにある寂れた港町。
空はいつも暗く、雪が降っている。
少年はその町で生まれ育ち、他の町を知らない。
大人たちも他の町に行くことができない、流刑のような町。
人々は言葉数少なく、諦めたように惰性で生きている。
 
幼なじみの少女がいて、二人はずっと「船」のことを話していた。
それがこの世界の他の場所に連れて行ってくれるという。
どこなのかはわからない。南なのか、もっと北なのか。
もう何年も「船」はこの町に来ていない。
二人はその船を見たことがなかった。
 
それがある日、少女は言う。「明日、船が来る」と。
少女の家族は船に乗せてもらえることになっていた。
その町で唯一選ばれた家族だった。
皆公平にくじを引いて決まったはずなのに、町の人たちは快く思っていなかった。
やつらだけがこの町を出ていくことができる。
あの一家は金で買ったんだ、汚いやつらだと。
しかし、家族は少女の不治の病を治したい、胸の病を治したい、
船に乗っていくことのできる場所にはそれが可能なのかもしれないという望みがあった。
 
少年は家に帰って(そこは地下に広がるひとつの巨大な集合住宅だ)
長いこと病で寝たきりになっている母に船がつくことを伝える。
母は少年に船に乗ってほしかった。
私のことなんていいから、ここから出てもっといいところに行ってほしかった。
そう言うが、少年は母のことを置いていけないという。
そもそも少年がその船に乗る権利を得たわけでもない。
父は写真が一枚残っているだけ。
かつて何かに逃れるように一人この北の最果ての地に来て住み着いたよそ者だった。
世界の終わりのきっかけとなるような出来事からの生き残りの一人だった。
 
次の日、「船」が港に現れた。広場の鐘が鳴らされた。
少年は急いで見に行った。前の晩、眠れなかった。
人だかりの中、少年もまた船を見上げた。
船は想像した以上に大きかった。山のように、要塞のように、大きかった。
てっぺんの方に屋根のかかった通路があった。そこに何人か人の姿が見えた。
しかし人々はこちらからの声には何の反応もしなかった。
乗せてくれ、助けてくれ、港に立った大人たちがどんなに大声で叫んでも
ぼんやりとしてこちらに気付いているのかどうかすら怪しかった。
もちろん、船から下りてくる人もいなかった。
 
船に対して考えつく限りの罵声を浴びせ、諦めた人たちが港を去っていく。
少年は最後まで残った。
少女がいた。
あれに乗るんだ、と少年が言うと少女は黙って背を向けて走り去った。
しかし少し走った後で少女は胸を押さえてうずくまった。
少年は少女を抱きかかえた。
 
次の日、少女の家族が船に乗るときが来た。
少年はわずかな所持品の中から贈り物をしようとポケットの中に入れて港へと向かった。
その大きな船には入り口がなく、小さな舟が港まで来て少女の家族を乗せ、上に運ぶようだ。
少女の家族はトランクであるとかわずかばかりの荷物を手に港の一角に立っていた。
それを大勢の人たちが取り囲み、なじっている。
どうしてお前らだけが助かるんだと。
少し離れたところから船から来た黒づくめの男たちが無言でそれを眺めていた。
高いところに立つ男が演説を始め、皆、その男の言うことに聞き入った。
そしてその男は家族を殺せ、石を投げろ、板切れを探せ、と叫び出す。
家族はもはやこの町からいなくなったも同然なのだからと。
 
石が投げられ、それが終わると取り囲んだ人たちが家族を殴り出した。
父親と母親は少女に覆いかぶさって、なんとか少女だけは助けようとした。
少年にはどうすることもできなかった。
父親と母親は死んだ。荷物も心無い者たちによって奪われた。
生き残った少女は一人、船に乗せてもらえることになった。厄介払いをするように。
少女は船の男たちに守られながら舟に乗ろうとする。
振り返ったとき、少年と目が合った。
全てを失った少女は目に光を失っていた。
その目は少年を見ていなかった。
贈り物を渡すことはできなかった。
 
少年は船に忍び込み、密航することを考える。
船に補給する水や食糧を入れておく箱の中に忍び込めないか。
家に戻って母に別れを告げる。
母はなぜ父がこの地に来たか、その秘密を教えてくれた。
この世界に何があったのか。
大人たちが見回っているのをかいくぐり、
倉庫の中に積み上げられた箱のひとつに少年は潜り込む。
一晩待った。少年は空腹に耐えながらそれまでの人生のことを考えた。
少女はどうしているだろうと考えた。
 
朝が来て、少年は船の中に運ばれて行った。
少年は迷宮のような船の中を歩き回り、少女を探した。
船の窓から生まれ育った灰色の町が見えた。