クリスマスのこと

クリスマスの時期になると毎年思い出すのが、
小さい頃、近所の家の子供たちの集まったクリスマス会。
実際には毎年のように行われたわけではなく、
僕らが引っ越してきた翌年、小学2年・3年の時だけだったように思う。
今日はこの日、明日はこの日と持ち回りで何軒かでやった。
 
大人は特にかかわっていなかったはずで
クリスマスの料理が出るわけではなく、
お菓子を食べながら子供らしく騒いでいたというだけ。
ドリフの真似であるとか。
買ってもらったおもちゃで遊ぶとか。
当時はまだファミコンもなかった。
 
新興住宅地。
あの家とこの家とその家と、と今でも覚えている。
僕らの家ではやらなかったと思う。
周りは既に雪深く、外の空き地には高い雪の山が作られている。
午後、家に集まって夕方帰る頃には曇り空の下真っ暗だ。
冬休みに入って、普段は上下揃いのスノーウェアを着て
かまくらを作ったり、そりで遊んでいた。
 
あのとき集まった子供たちは今どこでどうしているだろう、
ということを考える。
二度と会うことはないだろう。
今もあの界隈に住んでいる人もいないと思われる。
大人になって家を出ていったか、その家自体どこかに引っ越したか。
現に僕ら一家も引っ越して出て行った。
 
クリスマスとはどういうものであるのか、深く考えたこともなかった。
特段裕福でも貧しくもなかったが、
プレゼントをもらえる家ともらえない家があった。
母親が昼間もいる家といない家があった。
クッキーと漬物とガソリンが混ざり合ったような
その家特有のくぐもったにおいがした。
どこの家にも子供の入ってはいけない部屋があった。
 
ケンタッキー・フライド・チキンなんてものはまだ青森市にはなく、
マクドナルドやロッテリアもなかった。
スーパーに総菜のローストチキンがあったぐらいか。
そのスーパーも吹雪の中買い物に出かける。
今思うとなぜか車で行く家は少なかったと思う。
吹雪の中、母親がとぼとぼと雪道を向かう。
時々スノーウェアを着た子供たちがついていく。
ようやくたどり着いた店内は暖房で暑いぐらいだ……
 
クリスマスは年末年始、お年玉をもらえるお正月の
一週間前のある日を呼ぶ名前のこと。
小さい頃、キリスト教系の幼稚園に通って
キリストが生まれるという知らせを聞いて
馬小屋に向かう三人の賢者のうちの一人を演じた。
そのこととクリスマスとは結びついていなかった。
今も僕はよくわかってないのかもしれない。
 
真っ暗闇の中を舞う吹雪。
心の中にあるのはただそれだけ。
その中に埋もれた家々があるというだけ。
その中に人それぞれの生活があるとわかった、
そんな冬の日の記憶。