怖い話

辛いものと怖いものはよく似ている。
ダメな人は全然ダメ。
いける人はもっともっと刺激の強いものとなってしまう。
 
相変わらず休みの日は『新耳袋』のシリーズを読んでいる。
ほんと怖い。
下の部屋で一人読んでいると、何かいるんじゃないかと嫌な感じになりながら、
それでも読みふけってしまう。
夜暑いときにソファーの背後の窓を少しだけ開ける。
風は心地よいが、振り返ることができない。
部屋の中にくまモンをモチーフにしたバラモン凧を飾っている。その目が怖い。
動き出すんじゃないか。
鏡が怖い。現実世界にないものが映り込んでいるんじゃないか。
 
家の外で、例えば地下鉄やバスの中で読んだら
何かを引きつけてしまうんじゃないか。
連れて帰ってしまうんじゃないか。
そんなことを気にして、家の中だけで読むようにしている。
幸いなことに今のところ何も起きていない。
 
大学生か社会人になっての帰省のとき、
家にかかってきた電話を取ったら母の知人だった。
電話を替わって話し終えた後で、こんなことを言った。
今の人は病気を患った後で不思議な力を身につけた、
おたくの息子さんは今のところ大丈夫ですよと。
何がどう大丈夫なのかは説明できない。
だけど、見えるのだと。
 
霊が見えるという人がいる。
それにも段階があるようだ。
時として見える、感じる人。日常的に全て見えてしまう人。
慣れきっていて「ああ、今そこにいたよ」と平然と言ってしまう人。
それってしんどいだろうなといつも思う。
思い残したものがもつれて絡み合ったままもがき苦しんでいる姿が、
ここにも、そこにも。
その人にはそれをどうすることもできない。
ただ、見えるというだけ。
 
ふと思うに、見える人がいるというのならば
姿は見えないがその声を聴くことのできる人、触れることのできる人、
というのもいるのではないか。
どの感覚がより発達しているか、ということ。
 
ここで言いたいことと少し違うが、恐山のイタコがそうか。
目の不自由な女性が厳しい修行を経て霊をおろす力を身につける。
聴覚というよりも、交信する能力がそこでは高まるのか。
 
霊の話も怖いが、それが何なのか全く理解できない話がもっと怖い。
1巻で一番怖かった、これまで5巻まで読み終えて
一番怖かった話はこういうものだ。
ある古い家を取り壊すことになった。
物置代わりにしていた地下室があった。
そこも取り壊そうとしたところ、解体業者が言う。
さらにその下に部屋があるようだと。
行ってみると畳二畳分の小さな部屋だった。
四方の壁が白く塗られている。
不思議なことに階段の類はなく、出入りできない。
完全に密閉されていた。
いつ、誰がつくったのか。
何のためにその部屋を作ったのか。
何も伝わってはいない。
白い壁のひとつには赤く日の丸が描かれていたという。