15時、白鵬の引退会見。
妻が中継を見ていたところに通りがかって、僕も少し見てみた。
名古屋場所は10勝を目標としていて、
10日目にその10勝を果たしたとき、
親方や裏方に引退の意向を伝えたのだという。
不世出の大横綱だった。
妻は言う。
その時の会見で、優勝したのが自分でよかったと語ったのだという。
これが若い力士だったならば、こんなどん底の時期にかわいそうだと。
東日本大震災のときも復興支援に駆け付けた。
白鵬にはお金があった、
他の力士にその余裕はなかったと言えばそれまでのことだけど、
では親方たちはどうだったのか。
このとき、全国の小中学生向けの大会として白鵬杯を創設した。
そこから育ったのが阿武咲だった。
大会は10回を数えるまでになった。
これまでの言動により部屋を持つのは難しいが、
後輩の育成には熱心であった、その功績は大きいと。
僕自身、正直、白鵬については
いつまで横綱の地位にしがみついているのだろう、
盛りを過ぎたのだし、
休場を繰り返すぐらいなら世代交代すべきだと考えていた。
しかし、いざいなくなってみるとなんとも寂しいものである。
なんで先日の九月場所が千秋楽を迎えた翌朝に発表だったんだろ。
満身創痍で名古屋場所を乗り切り、優勝で花を添えた。
九月場所は部屋からコロナ感染の力士が出たため出場できなかった。
その場所で照ノ富士が圧倒的な強さを見せて優勝できたのを見届けて、
後は託したという思いになったから。
各所様々な事情のある中、楽観的ではあるが、そのように考えたい。
会見を見た妻から聞く。
インタビューで藤井アナから心に残る一番を教えてくださいと聞かれて、
ふたつあると。
もうひとつは60何連勝と続けていた時に稀勢の里に負けた一番で、
このとき、横綱として恥ずかしくない相撲を取らないといけないと改めて心に誓った。
最後に一言、となって若手には基本を大切にして稽古してほしい、
型をつくって破ってまたつくり直すということを続けてほしいと。
技をたくさん持つ力士は怖くなかった、型をしっかり持った力士は怖かった。
それを聞いてやはり、不世出の力士だったと改めて思った。