『COME COME EVERYBODY』と『おかえりモネ』

NHKの朝ドラ『COME COME EVERYBODY』も
るいが算太の遺骨とともに数十年ぶりに岡山に里帰り、いよいよ佳境に入ってきた。
 
『スカーレット』も『エール』も『おちょやん』も面白かったが、
『おかえりモネ』は朝ドラ史上No.1の作品ではないかと当時は思った。
『COME COME EVERYBODY』はそれに並ぶ。
いや、それ以上かもしれない。
 
どちらも、
・先の展開が全く読めない、予想がつかない
・「Life Goes On」それでも人生は続く、この哲学が貫かれている
といった特徴があるが、それでも真逆の作品となっている。
180°違う。
 
点を結んで線を引く、いくつかの点は何度も線が通る
というのが『COME COME EVERYBODY』で、
線をさっと引いた後で、ああ、ここは折れ曲がってるなという
特異点が見つかるのが『おかえりモネ』なのだと思う。
 
その点というのがモノとコトの違いとなって現れる。
『COME COME EVERYBODY』の場合、
ラジオ英会話であり、あんこであり、時代劇というもの、
普遍的なもの、日常生活の中ですぐ近くにあるけど、
人によってそれぞれ距離感が異なるものとなる。
 
『おかえりモネ』の場合、就職、上京、職業上のポジションの変化、
将来を共にするパートナーとの出会い、といった出来事となる。
そこに東日本大震災や大型台風といった
全ての人が体験するわけではない極限的な出来事が重なって奥行きを増す。
 
どちらの作品にも複雑性、多様性というものを感じる。
詰め込みすぎてる、というわけではない。
毎日見ていたら素直にスッと内容が頭に入る。
(そのために『COME COME EVERYBODY』は
 かつてないほど回想シーンが多いし、
『おかえりモネ』は一話・二話飛ばしても話に追いつけるよう、
 ストーリー上の隙間が多かったように思う)
 
技術は年々進化する。
脚本・演出のレベルにおいて
ここが普通の人が追い付いて行けるギリギリのところなんじゃないかと思う。
これ以上複雑になると何が何だかわからない前衛的なものとなってしまうんじゃないか。
 
逆に、揺り戻しでもっとシンプルなものに立ち返る朝ドラも出てくるかもしれない。
BSでは過去の再放送ということで『マー姉ちゃん』をやっている。
1979年の作品なので今の視点でガチの比較をしてもしょうがないのだが、
登場人物一覧のうち今日はこの人とこの人とこの人が登場して
磯野家という舞台でドタバタやるだけのコメディでしかない。
動きがほとんどない。場面転換という意味でも、ストーリー展開という意味でも。
じゃあつまらないかというとそんなことはなく、
キャラクター設定がしっかりしているから十分面白い。
NHKのその時々のドラマの基礎ががっちり根底にあるのは
 マー姉ちゃん』も『COME COME EVERYBODY』も同じ。
あとは技術の進歩の問題でしかない。
 
大月るいと大阪のクリーニング屋のおっちゃん・おばちゃんのやりとりがメインになった週や
その後の大月るいと錠一郎と小学生のひなたの週は
もうそれだけで一生見ていたいと思わせるだけの魅力があった。
季節の移ろいの中で家族の機微を見せるだけのドラマ。
そういうのがあってもいい。
そういうところに立ち返ってもいい。
それをしっかり成り立たせ、今の人にも面白いと思わせるのは
『COME COME EVERYBODY』や『おかえりモネ』の脚本・演出以上に
高度な技術を要すると思う。