善意の行方

昨晩妻から聞いた話。
昨日の昼、新宿一丁目の公園の近くを歩いていた。
飲食店がチラホラとあるエリアの裏通り。
右手で杖を突いて、左手に缶コーヒーをもってヨタヨタと歩き、
転びそうになって公園の柵にもたれかかったおじいさんがいたという。
 
妻は駆け寄り、大丈夫ですか? お怪我はないですか? と声をかけた。
もしかして両手がふさがっているとよくないのかと
よろしければ缶コーヒー持ちましょうか、空だったら代わりに捨ててきましょうか、
ということも言ってみた。
 
そしたらその老人から「うるせえ、失せろ」と。
え!? と驚いた妻は、まあ、そう言うならと謝ってその場を後にした。
妻としてはせっかく親切で言ったつもりが、という憤りはなく、そう思う暇もなく、
驚きの方が大きかったという。
 
虫の居所が良くなかったのか、
健常者が上から目線でものを言っていると思われたのか。
どういうことだったのだろうと妻とあれこれ考えてみる。
 
からしてみれば、こういうことだったんじゃないかと。
老人はこれまでなんのいいこともない人生だった。
若い時、心の底から困っていて助けが欲しい時に助けてくれる人がいなかった。
信頼している人からの裏切りもあった。
人生どん底のまま、ホームレスかそれに近い状態で裏通りに暮らしている。
上向く可能性はひとつもない。
そんな自分に今更、優しい声をかけられたところで遅い。
そんな怒りがあったのではないか。
 
もやもやする、声をかけるべきだったのかと妻はその後も悩んでいた。
結局のところ善意が報われるかどうかも確率論でしかない。
僕は言う。
こういう結果になると事前に知ってたら僕は、あなたは、声をかけただろうか?
そういうことなんじゃないか。
それでも困ってる人には声をかけたい、でもいいし、無駄になるから避けよう、でもいい。
 
前者でありたいという妻の日々の振る舞いが、誰かの役に立ってほしい。
ただ、それだけ。