2025/01/02: 成田本店 paxしんまち店
[国内新品] Ann Burton 「A Lovely Way To Spend An Evening (Live In Japan 1977)」 \2200
[国内新品] Judy Garland 「Judy At Carnegie Hall」 \3080
2025/01/04: www.amazon.co.jp
[国内中古] Claire Rousay 「Sentiment」 \2090
2025/01/04: BOOKOFF練馬光が丘店
[国内中古] Dave Mason 「Split Coconut」 \990 --- Judy Garland 「Judy At Carnegie Hall」
CDショップというものも時代遅れになって、
その地域にまだ生き残っているCDショップというものがあったら
近くに立ち寄る度になんか1枚買うことにしている。
応援のため、というとどこか上から目線のようだけど、なにもしないよりはいい。
青森駅前、新町のアーケード街にある成田本店。
その地下に『pax』というレコード屋があって、カセットテープの時代を経て、CDへ。
前にも書いたことだが、CDが売れに売れた90年代までは
新町に『be bop』が2店舗、駅ビル:LOVINAの『新星堂』、
他、YAMAHAの楽器屋でもCDを売っていたのでCDを扱う店がいくつもあった。
『ササキレコード社』といった中古レコードの店もあった。
(恐らく高齢で店を閉めたのか、今もあったら宝の山になっただろう)
アウガの上の階の商業施設が元気だったころは、確か『バナナレコード』も進出していた。
中古CD屋があったのは確か。
今はそのどれもなく、pax が残るのみ。
成田本店の地下は閉鎖され、2階に移った。
(この正月に行ってみたら3階の文具売り場が1階に移動していたので、
もしかしたら3階も閉じてさらに売り場面積が小さくなったのかもしれない。
楽器売り場、もうないんだろうな)
その pax も半分はDVD・ブルーレイで、アナログレコードの扱いも始めた。
CDの取り扱いは少ないまま。
それでも洋楽が上から下までの2棚あって、ジャズが半分の背丈で2棚。
まだいい方か。
1月2日、善知鳥神社の初詣のあと。
さて、なにを買うか。
DiskUnion の『いますぐ聴いてほしいオールジャンル2024』が昨年末ひさしぶりに紙媒体で復活。
東京から持ってきたのを拾い読んでいた。
柴田聡子 / The Last Dinner Party / Hiatus Kaiyote の新譜があったら買いたいと思うも、
やはりその辺りはなし。
とはいえ何もないわけではなく。
ジュディ・ガーランドの1961年、カーネギー・ホールのライヴアルバムと2枚買うことにした。
後者は、ルーファス・ウェインライトが同じくカーネギー・ホールで
セットリストもジャケットも完コピしたライヴアルバムを2007年に出していて、
そちらを先に聞いていた。
一人のエンターテイナー、一人の歌い手としての理想がそこにあったのだろう。
ロイヤル・アルバート・ホールのコンサートを再現したように)
ルーファス版は下手にロック調とか現代的な音にせず、
ビッグバンドを引き連れて、1960年代初めのミュージカルのような音。
ガチだった。往年のジュディ・ガーランドの音もかくや、という。
妹のマーサ・ウェインライトも、当然のことながらゲスト出演。
ジュディ・ガーランドの本家版を遡って聞くとルーファス版との余りの地続きっぷりに驚く。
50年弱という年の隔たりをほとんど感じさせない。
こちらのほうがオーケストラとして本格的なのかな。
演奏家の人数は絶対本家の方が多そう。
どちらも甲乙つけがたい。
ルーファス・ウェインライトは憧れを持って近づくというよりも
ジュディ・ガーランドになり切っている。一遍の迷いもない。
でもやはり、参考にするものは何もなく、ただ自分のステージをやり切ったという
ジュディ・ガーランドの存在感の大きさに軍配は上がるだろう。
曲の間の語りも含めて、朗々と、威風堂々と歌いきる。
これをアメリカを代表する音楽、名ライヴアルバムと呼ぶのは当然のように思う。
曲目は子役時代のジュディ・ガーランドが主役を務めた
『オズの魔法使い』から”Over The Rainbow”(虹の彼方に)をピークに持ってきて
後半はこの曲の合間合間に他の曲が挟まるという構成。
何度もあのフレーズが繰り返される。
他、ジュディ・ガーランドも出演者の一人だった『That’s Entertainment!』の表題曲や
”Stormy Weather” や ”Come Rain or Come Shine”(降っても晴れても)
といったスタンダードナンバーたち。
ルーファス版のブックレットを読み直していたら彼の両親、
ケイト・マクギャリグルとラウドン・ウェインライトIIIが1961年の
ジュディ・ガーランドの公演を見に行っていたようだ。その写真が載っている。
(キャプションにはマーサとあるが、まだ生まれていないので母ケイトの誤りではないか)
そういうところの縁も、ルーファス版を生むきっかけになったのだろう。