ボーナスが出た、ということで昨晩は妻と近くの「がってん寿司」へ。
レーンが回転していない。
迷惑動画の投稿やフードロス対策で回転をとりやめた店舗があると聞いて、
それが実際に身近な店舗もそうなった、
練馬の奥にまで波及した、行き届いたと知って、
世の中は変わっていくものなんだな、
その力は普遍的なものなんだなと改めて思った。
劇的な出来事よりも、こういう些細なことの方が感慨深い。
寿司はカウンター越しに板前さんが皿を渡していたが、
生ビールやハイボールといったドリンクは配膳ロボットがテーブルを回っていた。
去年来た時は確かまだそんなだったのに。
これも練馬の奥まで届くのに時間がかかったひとつだろう。
ということは全国のチェーン店で導入がほとんど終わったのではないか。
僕らのテーブルに来た配膳ロボットはもう長いこと稼動しているのだろう、
だいぶ色あせていた。
帰ってきてまだ20時とかそれぐらいだったので年賀状を作り始めた。
写真を選んで、印刷する共通のメッセージを考える。
30分もしないでできた。妻に確認してもらい、OKとなった。
今日の午前中、仕事の合間に家のプリンターで裏面を印刷する。
昼休みに表面、つまり宛名の印刷。
昨年は34枚出していたようだ。
今年は喪中はがきが何枚も届いたこともあって27枚。
昨年、一昨年と来ていないのでこちらも終わりにするかと
送信先の設定から外したのも何枚か。
毎年1枚とか2枚とかいったペースで
ゆるやかに年賀状を出す枚数が減っていく。
上に書いた変化とは性質が異なるが、
時間がかかるこういったゆっくりとした変化がジワジワ、しみじみと感慨深い。
そちらの方が後戻りが効かないように思う。
時間をかけて少しずつ受け入れていくもの。
しっかりと時代や社会に食い込んでいく。
逆に、今日からこう変えてくださいと突然言われるものは
また以前のやり方に戻ったり別な方向に変わったりというのが同じように突然あるもので。
上っ面だけが変わって、奥深くに浸透しない。
摩擦も起きやすい。抗いたくもなる。
それが、ゆっくりとした変化だともうしょうがないかと諦めたくなってくる。
振り返ってみると世の中そういうものばかりだよなあと思う。
世の中の大勢人が受け入れていて、
ぼんやりしているうちに自分は最後の方になって受け入れている、
そういうものがけっこうある。