耳の日

3月3日は雛祭りの日であるが、耳の日でもある。
単なる語呂合わせかと思っていたら、調べてみたところ
□三重苦のヘレン・ケラーにサリバン女史が指導を始めた日
□電話の発明者グラハム・ベルの誕生日
ということもあって、この日になったようだ。
なお、ヘレン・ケラーにサリバン女史を紹介したのは
耳の不自由な人への教育に関心を持っていたグラハム・ベルなのだそうだ。
さらになお、6月6日は補聴器の日であるらしい。


そんなわけで今日は耳の健康を考える日であったりするのだが、
さてどうするのかというとよくわからない。
耳の定期検診って話題に上らないしねえ。
いつも通り聞こえていればそれでよしって感じだし。
中耳炎にでもならない限り若いうちは医師の診断を受ける機会はなかなかない。
そう考えると耳って丈夫な器官だ。鼻や目と比較すると。


インターネットで耳の日を調べると
たいがいは病院や学会や補聴器のページがヒットして
そのうちのいくつかは耳の構造図が載せてある。
「音を捉える」という目的を果たすために
このような複雑な器官へと進化していったことを考えると
自然の力というか生命の力というのはすごいもんだなーと感心せざるを得ない。
それが普段これといって病気しないんだからなおさらすごい。


耳が聞こえなくなったら僕の生活はどうなるのだろう。
様々な声、音、音楽。
身の回りの生活のあらゆる物事を共鳴として捉えるということ。
あの人の声、あの時に聞いた音楽。
それら全てを消えてなくなりそうな記憶の痕跡の中からそっとすくい上げる。
静寂を超えた完全な無の世界で。


理由はよく分からないんだけどよく思い出す話。
あるおじいさんが右耳が聞こえなくなってきたと耳鼻科に行ったら
ただ単に耳垢が溜まっていただけであって、
耳の掃除をしたらまた何の問題もなくそれまで通り聞こえるようになったということ。
そのおじいさんは生まれてからそのときにいたるまで
耳の掃除というものをしたことがなかったのだそうな。
これはなんかの比喩のような気がするのだが、
何か深い含蓄がありそうなのであるが、
何度考えても何の比喩なのかよくわからない。
でもすごく気になる。