このところ週末は『新耳袋』を読んでいた。
結局全10冊読み終えてしまった。
いくつか印象に残った話のうち気になったひとつを挙げてみると。
押し入れで物音がする。開けてみると見知らぬ子どもがいた。
子供はこちらに向かって歩いてきて部屋の中で消えた、というもの。
この手の話はたいがい、
子供の頭が大きく目も大きいということになっている。
押し入れに限らず、道端で出会ったという場合でも同様だ。
ただし、どの程度大きかったのかは
具体的な記載がなくよくわからない。
気になるのは、海外の宇宙人目撃談も多くが、
頭が大きく目も大きい姿をしていることだ。
よくテレビでやってた、グレイなんかがそうですね。
あるとき、なんでそういう姿をしているのかの説明を
テレビで見るか本で読むかして納得したことがある。
あのイメージのモチーフになったのは
人間の乳幼児なのだとされていた。
だからバランスとして頭が大きいことになる。
異質な存在というものの原型にあるイメージが
全世界的に共通なのだろうか。
それが日本では幽霊として扱われ、海外では宇宙人として現れる。
それは、大人になった自分にとって子供という存在が異質だ、
ということなのだろうか。
大人になってからの常識や知識がなく、コミュニケーションがとりにくい。
だから、特に海外の宇宙人はその大きな目の中に瞳を持たず、
その目が何を語ろうとしているのかわからないようになっている。
日本の幽霊を描いたいくつかは目が虚ろとなっているか、
あるいは左右あべこべの方角を向いていて焦点を結ばないようになっているか。
その特徴はあくまで耳や鼻ではないんですよね。
あるとしても口か。
口裂け女の口が象徴的だ。
人間にとっての最大のコミュニケーション器官なのに
それが損なわれて通常通りには機能しなくなっている。
驚かすという異質な機能を与えられている。
そういうことを考えて何かがわかったような気になっても
実際押し入れの中で本来あるはずのない物音が聞こえてきたら、
開けたら誰かの気配がしたら、それは怖い。
それは変わらない。