日曜の昼、「29」の撮影の一環として、子供が生まれたばかりのオオタの家に行った。
子供をあやし、おしめを変える。そんな場面をカメラで撮らせてもらった。
オオタは大学の同級生で、寮も映画サークルも一緒。
映画に行ったりライブに行ったり合コンに行ったりと多くの時間を共にした。
学生時代は渋谷でDJをやっていたりもしたが、
普通に就職活動をして商社に入り、結婚もして家も買った。
どこかでボタンが掛け違ってしまって人生に乗り遅れた僕とは対照的。
(ま、オオタに限らずそういう「普通」の人は僕の周りでも大勢いるが・・・)
家に入るとリビングの真ん中にベビーベッドが置かれ、
天井からは魚のモビールが吊るされている。
女の子。3ヶ月。
最近人の区別ができるようになってきた、人見知りをするようになった、という。
顔を僕に向けると、しばらく見つめられて目をそらされる。不機嫌な顔になる。
こんなとき僕もなにかしら赤ん坊に対してリアクションができればいいのであるが、
こういうの全く持って苦手。苦笑するばかり。
あのオオタが自分の娘相手におどけた顔をしてみせてるところを見ると、
「ああ、月日が経ったのだなあ」「学生時代は遠く過ぎ去ったのだなあ」
そんな寂しいような寂しくないような、不思議な気持ちになった。
「何を見てなのかよくわからないんだけど、笑うようになったんだよね」
誰のときだったか思い出せないが、同じような話をどこかで聞いた。
緊張してるのか今日は笑わず。最初のうちは泣き出すこともなく
「おとなしい子だなあ」と思っていたのであるが、その後普通に泣き出す。
その度におしめを変えたりなんだりで大変そうだった。
30になってから子供ができるというのは
世間的にはまだまだ遅い方なのかもしれない。
どうなのだろう?遅い早いは関係ないか。
それ以前にこの僕は取り残されてしまって、いまだに映画なんか撮っている。
奥さんと子供が別室で昼寝に入って、オオタと2人で互いの仕事の話をする。
商社の営業と、IT産業のSEとで「こんな仕事できないか」みたいなことを。
「こういうのやりたいんだけどいくらぐらいコストがかかるんだろうね」
「それって裏ではどういう仕組みになってんの?」
オオタが赤ん坊をあやしている姿を見たとき以上に、
「僕らはいい年した大人になったんだなー」という感慨が強くなった。
最後にこういう話になる。オオタはこんなことを言った。
「40まであっという間なんだろうな。そっから先のことを考え出すと怖くなってくるよ」
そうだよな。
僕はこのところ30になることに対して
不安や諦めの入り混じった暗い気持ちを抱いて沈み込んでいたが
これって40や50も一緒で、その時はもっと暗い気持ちになるんだろうな。
今はまだ多少なりとも「夢」のようなものが多少残されていて
それと現実との距離感に悩ましいものを見出しているだけの余裕がまだある。
だけど40ともなれば残されているのは現実だけになってしまう。
見えているやつには既に見え始めている。
帰りはオオタに車で送ってもらう。
助手席から青梅街道の景色を眺める。
後部座席にはベビーカーが折り畳まれている。
荻窪でおろしてもらう。
オオタはその後家族3人でどこかに出かけることになっている。
僕が今日垣間見せてもらった生活の断片。
そこに静かに戻っていく。