引き出物のカタログ

先週のイッシーの披露宴でもらった引き出物の袋の中に三越のカタログが入っていた。
最近の披露宴では定番と言っていい。
もらったところで使い道のないものをもらっても正直全然嬉しくないし、この方が気が利いてる。
「や、カタログもいらんからご祝儀1万減らしてもいい?」なんてこともできないしなー。
結局これが時代の流れに合っているのだろう。
幸せいっぱいの2人の写真がプリントされた
時計やマグカップなんてものを配る人も昔はいたようだ・・・。


で、カタログのページをパラパラとめくってみるのであるが、
困ったことに欲しいものが何もない。
端から端まで眺めてみても、食指はピクリとも動かず。
どれもこれも根本的に今の自分には不要なものと、あったら便利かもしれないが置き場に困るもの。
イッシーが悪いのでも三越が悪いのでもない。
「あー自分は人間が偏っているのだなあ・・・」と自分自身に対して気まずく思う。
またここでも指摘されてしまったかと苦笑いをする。


本とCDとDVDだけは鬼のように買う。金の続く限り。
金が続かなければ昔の貯金を取り崩してでも買う。
「あれ欲しいこれ欲しい」とは常に思い続けているが
その物欲の範囲が思いっきり狭いということに今更ながら気付かされた。
隙間1cmのところに無理やり欲しいものを押し込んで詰め込んでるような無理さ加減。
小物だの装飾品だのおしゃれなインテリアだの欲しくないし、
(額の中の絵を買うよりはその絵が収録された画集を買う)
ちょっとランク高めの椅子や皿もいらんし。
それでいて物が溢れかえっている。
買ったけど見てないDVDって山のようにあるしなあ。
ゆがんだ生活。


話が変わって。
こういうカタログを見てていつも思うのは、これらの商品って果たして価格帯が一緒なのだろうか?
ハロッズの紅茶詰合せ。牛肉の佃煮の詰合せ。ジノリの皿。シュレッダー。地球儀。。
イヤリング。女性用の腕時計。男性用の腕時計。折畳の傘。36色の色鉛筆。ナイキのトレーナー。
ふかひれスープセット。ミッキーマウスのぬいぐるみ。日立の旅行用シェーバー。
市場価値や相場のわからないものばかり。
日々暮らしていく中で値段のわからない物の方がほとんどなんだなあ、なんてことを思う。
チーズフォンデュセットだとか、ドイツ製の包丁とか、スリッパラックとか、天体望遠鏡とか、
いくらするものなんだろう?


欲しいものがないのでさもしいことに「何を選んだら最も損か?」「最も得か」という視点で
「ヒーリングCD&ポストカードセット」ってのが最も安いんじゃないか?
いや、カシオの電卓じゃないか?
要らないものであっても、高価そうなものを選んだ方が得なのではないか?
一瞬そんな考えが頭をよぎり、「違う違う」と考え直す。


結果として選んだのは鞄。鞄ならいくつあってもいい。
そういえば前もらった引き出物のカタログでも選んだのは鞄だったんだよなあ。会社行くための。
今回はビジネストート。こういうのあるといつか便利だろう。
新宿中村屋レトルトカレーのセットと(割と)真剣に悩んだ。
腕時計が前々から欲しかったのであるが、
自分でお金を出してデザインの気に入ったものを選んだ方がいいよなと思った。


この世界ではいろんなものが売られている。
ただひたすら安いだけのもの、高いけどデザインや機能性に優れているもの。
「本とCDとDVD」だけではなく
食器やインテリアに関してちょっとしたこだわりを持つようになれば
日々の暮らしは潤いを持つようになるものなのか?
ある程度は潤いを持つようになるだろう。
でもそんなことをしていたらお金がいくらあっても足りない。
そのうちに「お金では買えないもの」を追求しだして大変なことになりそう。
今のままの方が無難でいいのか、それとも視野を広げたほうがいいのか?
難しい問題だ。


なんにせよ部屋を片付けることのできる人じゃないのなら、物は買わない方がいい。