怒涛の日々

この時期いつもそうなんだけど、仕事が忙しくなる。
世間一般的な「夏休み」とは無縁な毎日。
竹芝桟橋は毎朝、大島に遊びに行く人たちでワクワクした熱気に包まれている。
いいなあと思いながらもそそくさと通り過ぎる。
自分には関係のないものだとして振り捨てる。


怒涛の日々。
気が付くと一週間が終わってる。
振り返ってみると何も残ってない。
何日か前の記憶がない。あるといえばあるんだけど
「味」のようなものがごっそり抜け落ちてしまっている。
喜怒哀楽に結びつくようなもの。
まあ要するに無味乾燥というわけですよ。
作成したドキュメントや送信したメールをたどり直してみて
ああ、僕はこういうことをしていたのかというのがようやくわかる。


僕は僕の心に強く働きかけて、降りかかった出来事を片端から消去させるようにしている。
僕は僕の身を守ろうとしている。


ふとした瞬間に「間に合わない」という言葉が心に浮かぶ。
――― 何が?
――― いろんなものが。
自問自答してみる。


いったい何が間に合わないのか?
①映画の編集が。コンテストの締め切りはもう3ヵ月後だ。
②「群像」への応募が。これも締め切りは3ヵ月後だ。
③今自分がやっている仕事が。やるべきことが多すぎて破綻しつつある。
④今時分が属しているプロジェクトが。まあ去年から言われてたけど。
⑤夏の(一夏の)思い出作りが。
⑥つうか29歳の思い出作りが。
⑦今公開されているあれとこれとそれの映画が。
⑧買い込んだ本に対して読んでいくスピードが。
⑨世の中の出来事についていくスピードが。


挙げていこうとしたらキリがなくなる。困ったもんだ。

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物心ついた頃から僕らはカヌーを作らされる。
なぜそうしなきゃいけないのかよくわからないまま、大人たちに「やれ」と言われるから仕方なく。
適当にさぼりながらやってきたのでそれはかなり中途半端な出来だ。


ある日突然、また別の大人たちがやってきて「乗れ」と言われる。
カヌーに乗って激流を下っていく。
どこにもたどり着かないまま、濁流はどこまでも続いていく。
そこには大勢の人たちがいて、同じようにカヌーに乗っている。
困り果てて、途方にくれた表情で。
リュックサックに詰め込んだこれまでの思い出たちはいつだって水浸しだ。


岸を見つけると時々一休みする。だらーんとする。
子供たちを見つけると僕らは「いいからカヌーを作るんだ」とさも偉そうに言う。
そしてまた嫌々ながら川に戻っていく。
人によってはいつのまにか豪華なカヌーに交換しているし、
僕のような人はいつまでたっても昔のままの壊れそうなカヌーのままだ。

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とにかく、いろんなものが間に合わない。


もう2度と間に合わない。