父と息子

父の命日が近づく。
僕が小学一年生を終えようとした1月に交通事故で亡くなった。
父が生きていたら、どんな父になっただろうか。
父が生きていたら、どんな息子になっただろうか。
いったい何を話すだろう。何を話せるだろう。
 
父の残したものは余りにも多く、余りにも少ない。
そして僕はすねたまま、ほとんど何も受け取っていない。
そんな少年が青年になって、中年になった。
写真が残っているから顔はかろうじて覚えている、
歌っている声が、話す声が記憶に残っている。
母が、父の好物だとよく鶏のレバーを甘辛く煮たものをつくっていたのを、
僕もよく食べさせてもらったから覚えている。
だけどそれぐらいか。
 
父はテニスが上手で会社の大会で何度も優勝してトロフィーがたくさんあった。
父の弾いていたクラシックギターも、カラオケのテープも、自ら吹き込んだテープも、
引っ越しの時に処分された。僕も強く反対しなかった。
そういうもんだよな。
亡くなったのはもう30年以上前。
とっといたところで、今更それでどうするということもない。
残された僕らも年を取って、いろんなことが変わってしまった。
そういうものがあったという思い出だけがあればいい。
今を生きる人たちだけでも、この世界は小さくて狭い。
どんどん狭くなっていく。
 
新聞記者で忙しいという父はよく缶詰のビーフカレーを食べていた。
S&B のだったか。とっくの昔になくなっているだろう。
80年代初め。レトルトというものがまだ一般的ではなかった。
幼稚園の僕は食べたい食べたいと言って、あるとき食べさせてもらった。
苦いよと言われて、確かにほろ苦かった。
あれも今食べるとまた違うのだろう。
なぜか最近、このカレーのことを時々思い出す。
僕がカレー好きだからというのではなく、
あれが初めての大人の味だったから。
そして大人とは、父のことだったから。
 
自分は父の年齢よりも長生きしている。
そのことへの実感がまるでない。
永遠に父は年上の人なのである。