「寒い?」とヨウコがダイスケに声を掛ける。
後部座席の片隅でダイスケは震えながら、虚ろな目で僕とヨウコのいる辺りを見つめた。
剥製のような目をしていた。小さい頃、祖父の家で見た剥製の鹿を僕は思い出した。
これでもう昨日今日と彼の話す言葉を聞いていない。
衰弱に取り憑かれてしまった。咳がいつまでたっても途切れない。
真夜中に向かうとき、夜明けが近付いたとき、彼の発作はひどくなる。
赤に茶色、緑の毛布。
ありったけの毛布に包まれているのにダイスケは押し寄せる寒さを体の芯から拭うことができない。
「氷の国に行ってしまった」とリョウジが昨日の夜言ってた。
ダイスケはたった一人向こう側に取り残されてしまった。
そのとき、こんな光景を思い浮かべた。
ゴムボートが急流を下っていてふとした弾みにダイスケが吹っ飛ばされてしまった。
流れに引きずられ、半ば溺れながら彼は助けを求めた。
僕は彼の名前を叫びながら思いっきり手を伸ばし、
弱々しく差し出された彼の手を、その指先を掴もうとする。
なのにわずかな差で届かない。
彼の姿が消えた。
僕らは僕らの旅を続ける他なくなった。僕らはゴムボートにしがみつくだけで必死だった。
「それ以上身を乗り出すんじゃねえよ!」と叫んでたリョウジの声が頭の中でこだまする。
僕は雪が分厚く降り積もっていた地面に立っていた。みんなのいる場所に戻った。
その後僕が車の中でダイスケの手を握った時、最初に感じたのはその冷たさだった。
どういう固さをしているのか(乾いているのか、湿っているのか)
どういう形をしているのか(どういう形を保っているのか)
ではなくて、素手でつららを掴んだ時のような冷たさだった。
彼はまだ現実の世界にいる、「まだ彼はここにいる」という束の間の安堵感はスーッとなくなっていった。
車の外ではブリザードが続いている。
エンジンをかけるわけにはいかない。
ゴーッという音がして車体が何度も何度も揺すぶられる。
何かがガツンとフロントガラスにぶつかる。
残り少ない使い捨てカイロを足元の小さなダンボール箱から取り出すと、
ミユキが「渡してあげて」と言う。
僕はそれを受け取るとビニールの袋を焦るように引き裂いて中の袋を思いっきり振った。
手の中でそいつは熱を帯びた。
ほのかな、わずかばかりの温かさだった。
僕の体の中にも少しずつその温もりが浸透していった。僕は一瞬だけ目を閉じた。
ダイスケを包み込んでいた毛布を掻き分けて
ネルシャツの下の、汚れきった下着の下の彼の青白くなった胸元にカイロを押し込む。
ダイスケがうめき声を上げたような気がした。
ヨウコがまた毛布を元通りにしていった。
自分の胸元の辺りをフラフラと視線がさまよった後で
ダイスケが弱々しくその目を閉じた。
その後僕らは何も言わなかった。
ただひたすら、ブリザードが通り過ぎるのを待った。
どれぐらいの時間が過ぎていったのかはわからない。
時間というものにはもう何の意味もない。