2人

朝、6時台の丸の内線に乗る。
たいがいの人たちは眠っている。あるいは新聞か雑誌をひっそりと読んでいる。
シートに腰を下ろすと目の前の席には30過ぎぐらいのカップルが座っていて
女性の方がやたらハイテンションでベラベラとしゃべりまくっていた。
早朝の静かな通勤電車がぶち壊し。はっきり言ってうるさい。
「しまったな」と思うものの席を移る気にもなれず。
例え目の前の2人に「やだな」と思ったところで
ガラガラの車両の中で席を立ってどこかに移るってのは大人気ないし、
それ以前に自分が「毎朝座っている位置」じゃなくなることの方がイヤ。
(丸の内線の4両目、先頭・左側の扉脇の座席の右端。
 右側にもたれるものがあっていつも寄りかかっている。背骨が曲がるね)


年末だからか、どちらかの故郷に戻るのかと思った。
新幹線で盛岡に行く話をしている。
というか女の方が一方的にまくし立てて、男の方が相槌を打っていた。
「盛岡?ふーん、いいねえ」って感じで。
男性はとっちゃん坊や的風貌ながら仕事はできそう。
女性は割と美人で気が強そうだが、笑い方に癖がある。
いつのまにか行き先は箱根に変わっていて、
どこそこの温泉がどうたらこうたらと批評が始まる。
そして男の方は「箱根?ふーん、いいねえ」という表情を浮かべる。
ああ、行き先はどうでもいいんだな、と思う。
大事なことは2人が今幸福だということで、
その証拠に手をゆるーく握り合っていた。
お互いに近い方の手が無意識のうちに寄り添いあうようになっているみたいに。
前の職場にいた男性と何度か飲みに行っていい雰囲気になった、
周りもそのように捉えて「何で2人は付き合わないのか」とまで言われたらしいのだが
そこから発展させる気には自分はならなかった、
そんな話題の途中で地下鉄を降りて出て行った。
新宿駅のホームを大きな笑い声と共に消えていく。


これからどこか遠いところへ出かけるのではなくて
恐らく徹夜明けで帰るところなのだろう。2人の住む場所へ。
大きなカバンを持っているわけでもないのだから。
でも、ひょっとしたら、箱根は小田急で行けるとかそんな話をしていたし、
もしかしたら本当に箱根に行ったのかもしれなかった。新宿駅で乗り換えて。
何も決めてなくて思いつきで、勢いに任せて1日か2日小さな旅に出る。
恋する2人には何の障壁もなく、この世界は2人だけのもの。
そういうことなのかもしれなかった。


2人がいなくなって、地下鉄は何事もなく走り始める。
車内はシンと静まり返ったように感じられる。
いくつもの車輪がレールの上を鈍い音を立てて転がっていく。
回転して、回転し続けて、乗客をそれぞれの場所へと運んでいく。
眠くなった僕は目を閉じる。
だけど眠れない。車内を漂う、ゴトゴトという音になんとなく耳をすませる。