仕事が今週割と谷間になり、休みを取った。
なので映画を見に行くことにした。
あれこれ「見たいなあ」と思っていた中で今回選んだのは
「ライフ イズ コメディ! ピーター・セラーズの愛し方」
サブタイトルにあるように名優というか怪優ピーター・セラーズの伝記映画。
ついこの間公開が始まったばかりかと思っていたのに、今週末で公開終了。
なんかそれも分かる、どことなくなんとなく地味な映画だった。
客の入りは平日の初回にしてはそんな悪くなかったのになあ。
(日比谷のシャンテシネで公開)
ピーター・セラーズの名前は映画ファンならば有名か。
「ピンク・パンサー」のクルーズ警部(口の上のもっさりとした髭が特徴)か、
あるいはスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」での驚異の1人3役。
「ピンク・パンサー」のシリーズは残念ながら見てないんだけど、
「博士の異常な愛情」は度肝を抜かれた。
エキセントリックな登場人物ばかり出てくるんだけど
そのうちの3人をセラーズが1人演じてて
それぞれのエキセントリックさが異なるという離れ業。
特に元ナチスのマッドサイエンティスト、
ストレンジラブ博士の奇矯さは忘れようにも忘れられない。
もう1つ残念ながら晩年の傑作とされる「チャンス」も見ていない。
これを機会に借りてきて見ないとなあ。
今となっては埋もれてしまった名作。
昨年のカンヌのコンペティションに選ばれていただけあってよくできた映画。
まとまりとおさまりがよくて
ピーター・セラーズってのがどういう人なのか十分伝わってくる。
でもなんか心に突き刺さる棘みたいなのが無くて右から左にぬけていって終わり。
後でじわじわ来る類の映画なのだろうか。
ピーター・セラーズを演じたジェフリー・ラッシュの演技がすごい。
「シャイン」で実在のピアニスト、デビッド・ヘルフゴッドに成りきって
見事アカデミー主演男優賞を獲得しているのであるが、
それに負けずとも劣らぬくらいの成りきりぶり。
そもそもがカメレオンのように様々な役をクルクルと演じていた
ピーター・セラーズを全くその通りに演じ分けているだけでなく、
ピーター・セラーズの周りの人々の独白のシーンでは
スタンリー・キューブリックやセラーズの父親や母親にまで扮装するという徹底ぶり。
「巧いなあ」と舌を巻く。
ストレンジラブ博士に入り込んだままの状態で
撮影中に会いに来た母親と面会をするシーンだなんて
入り込みすぎて車椅子に乗って例の「勝手に動く右半身」をやりつつ、
あの独特な口調で支離滅裂なことを母親相手に話すという始末。
笑いつつ、泣ける。こういうことって実際にあったんだろうな、
「博士の異常な愛情」のメイキングがどっかに眠ってたんじゃないか、と思ってしまう。
それにしても2時間の映画で見ていても多重人格っぽいのに
実際のピーター・セラーズってもっともっととんでもない人だったんだろうな。
危なくて傷つきやすくて、そしてどれだけ多くの人たちに囲まれていても孤独なままの人。
そういう資質があったからこそ、コメディアンとして世界的に有名になったんだろうな。
(僕は今「マン・オン・ザ・ムーン」のアンディ・カフマンや志村けんのことを思い出している)
愛されたくて、愛されたくて、だけど他人を愛するってことにとても不器用な人。
ジェフリー・ラッシュもすごいが、
2番目の妻を演じたシャーリーズ・セロンもまた凄い。
体重を10キロ増やしてまで演じた
アメリカの幸薄いというか幸福というものに一切恵まれなかった殺人者とは
到底同一人物とは思えない。
出演した時点で29歳なのに、
21歳の若さ溢れるスウェーデンの女優として何の違和感を与えないのはどうしたわけか。
「この人きれいだわあ」と見とれしまうことしきり。
さっきも書いたけど全体的に地味。
セラーズ出演の映画、前述の3本や「カジノ・ロワイヤル」のセットまで再現しているのに
全編を通して漂う慎ましさ。これはなんなのか。イギリス映画だからか?
「マン・オン・ザ・ムーン」で思い出したんだけど、
「アマデウス」のモーツァルトを始めとしてとんでもない人物の伝記映画を作らせたら
右に出るもののいないミロス・フォアマン(最近は低調だが)に撮らせたら
もっと鬼気迫るものになったんじゃないかな。