青森帰省2日目

昨日の夜は家に帰って荷物を置いた後、斜め向かいにある幼馴染の家に行った。
そこに呼ばれてささやかな宴会が行われた。

※このことは、実は、初めて書くんだけど、僕はその幼馴染と来年結婚することになりました。
今までずっと書かないようにしていたんだけど、
というか「私のことは書かないで、お願い」と固く言われてたので
そんな素振りすら見せてなかったんだけど、
ここまではっきり決まった以上公表してもいいかということになりました。
僕自身ずっと隠してきて誰にも言ってこなかったことなので、
何人かの身の回りの人に紹介するまでは
当面この日記でも名前とかあんまり出したくないなーと思います。


小さなテーブルの上に刺身が2皿置かれていて、瓶ビールが並んでいる。
「トヨヒコ君はスーパードライが好きだったよなあ、用意しといたよ」と言われながら、
さっそくコップに注がれる。
彼女のお父さんはキリン派なので僕はラガーの詮を抜いてコップに注いだ。
男2人で乾杯となる。
そこに彼女が唐揚げの入った皿を持ってくる。
彼女はお酒が全然飲めない。
唐揚げを1個だけ食べてまた台所に戻った。
「仕事はどんな調子だ」とお父さんが聞いてくる。僕はコップの中のビールを空けて言う。
この前会った時に話した大変なプロジェクトからようやく抜けることができた、
(↑だから今ようやく青森に挨拶に来ることができたわけで・・・)
次もまた忙しいところに回されそうだ。
「月並みなことだけどな、体だけは気をつけてくれよな」と僕は言われる。
「ちゃんと家に帰るような亭主にならないと、何を言われるかわかったもんじゃないぞ」とも。
いつのまにか隣に座っていた彼女が「よしてよ」と笑う。僕にビールを注ぐ。


たぶんみんな聞きたいことだからここで書いときます。
2・3年前から彼女が仕事で東京に来るたびにちょくちょく会ってたんだけど
お互い30になって彼女も「つらい」とか言い出すようになり、
そんでまあこういうことになったと。
こういうのって青森側に伝わるのは思いの他早くて、年明けてから僕が仕事で忙しくしている間に
「両家の間」で僕抜きにいろんなことがそれとなく決まっていった。
既成事実となる。というかなった。
これから先は僕も青森に頻繁に帰ってきて
実際に結納だの披露宴だのに向けて進めていかなくてはならない。
住む場所はこれまで通り東京だからそれも見つけなくてはならない。
彼女は仕事も見つけなくてはならない。
大学を出て5年ぐらいは東京で働いていたから土地勘はあるものの、ブランクが長くなってしまった。
「なんだ青森に戻ってくればいいじゃないか。仕事ならなんとかしてやるぞ」と
彼女のお父さんにはいつも言われるものの、僕としてはその選択はありえない。


気がついたら、僕がその3年前に彼女と東京で撮った写真がテレビの上に置かれていた。
この前来たときにはそんなのなかったのに。
「お母さんが置いたのよ」と彼女は言う。


今後の段取りに関する打ち合わせの予行演習をしてるんだか
過去の思い出話に浸ってるんだか
若い2人への人生指南をしてるんだかごちゃごちゃになってきて、
喋ってるうちに彼女のお父さんが眠ってしまったので僕は家に戻った。
じゃあねと言って彼女にキスをした。

    • -

今日は花見に行った。彼女の運転する車で。
青森で桜と言えば弘前城なのでそこまで見に行くのでもよかったのだが、
そしてちょうど今弘前で開催されている奈良美知展を見に行くのでもよかったのだが、
彼女がついこの間弘前には友達に会いに行ってきたばかりだというので
近場の合浦公園に行く。近くとは言っても青森市の反対側だ。


朝の10時。バイパスではなくて木材港の方に出る。海沿いに走る。
「青森レインボーブリッジ」という身もふたもない名前の橋を渡る。車はガラガラだった。
アスパムを背に市街地に入っていく。国道に出て東へ、浅虫温泉の方に向かう。
車の中で取り留めのない話をする。
「サキコのところに子供が生まれたよ」とか。
「女の子?」
「ううん、男の子」
「どっちに似てる?」
「サキコ、というかサキコの妹に似てる」
「サキコの妹って、俺、会ったことあったっけ?どこで何してんの?」
「商業を出て、中三の1階で化粧品売り場にいたあと、札幌だったか小樽に行った。嫁いで」
「じゃあたぶん知らないんだろうな。サキコに妹がいたことすら知らんかった」
ずっとこんな感じで。


合浦公園の駐車場に車を停める。
同じような世代のカップルや親子連れ、もっと若い世代のカップルや親子連れが多かった。
昨日の東京は30℃近くまで上がったみたいで、青森も20℃を超えていた。
今日はそれほどではないが、上にネルシャツを着てると暑くて、僕はTシャツだけになった。
缶ビールを買って飲んで、ベンチに座って屋台のイカ焼きを食べた。
桜はまだ五分といったところだった。
「まだ咲いてないな」と僕は言った。
4月の頭に会社の後輩たちと千鳥ヶ淵の桜を夜に見に行ったことや
その次の日に屋形船に乗ったことを話した。
電話やメールで既に伝えていたことではあったけど、
ベンチに並んで座って話していると伝えるべきディテールは変わってくる。
イカ焼きはやっぱ青森で食ってる方がうまいなとか、そういうこと。


合浦公園の隣には青森市の運動公園があって、野球場や体育館がある。
そこで何かの試合があったのか
汗だくのTシャツを着た坊主頭の中学生の集団が通り過ぎていった。
僕は僕が中学生だった頃のことを思い出した。
思春期。女の子のことばかり考えてただもうそれだけだった時代。
クラスでも男子ばかりだとそういう話しかしなくて
だけど実際に行動できるやつはほんの一握りで。
「3組の×子はもうやっていて相手は大学生だ」とかそんなことが一大事だった。
そんなある日市内の中学の生徒が集まって年に1回試合をするというスポーツの大会があって
そしてそれは競技ごとにこの運動公園か三内丸山遺跡の近くの方の青森県の運動公園が会場になっていた。
(ちなみにその頃はまだ↑遺跡が見つかっていなかったのですよ。あれは僕が大学に入った頃の話)


まあ話が長くなってしまったが、その頃の僕は自分の部屋の中では、授業中の白昼夢の中では
彼女のことを何気に意識していたけれども、実際には話すことなど全くなかった。クラスも違ったし。
むしろ廊下の向こうから来るのが分かったらそれとなく避けていたぐらいだ。
それぐらい意味もなく自意識過剰だった。ま、仕方ないよな。そんな時期なのだから。
誰かに彼女のことを聞かれても「小学校の時には話はしてたけどな」ぐらいにしか答えない。
それがかっこいいことなのだと思っていた。悲しいことに。あほらしいことに。
そんなわけであるから僕と彼女は中学生時代、ほとんど話したことがない。


で、また話が長くなってしまったが、ここでやっと「そんなある日」に戻ってくるのだが、
この合浦公園で彼女と会った。
会ったというよりはもっと正確に言えば僕のいた集団が彼女のいた集団と接近してすれ違った。
僕は卓球部で彼女はバレー部だった。
卓球部はいつも小さな方の体育館で練習していて、バレー部は大きな方の体育館だったから、
そういう場所でも普段顔を合わせることもない。
すれ違う前後の瞬間に彼女は僕の方をちらっと見たような気がする。
そして隣にいた女の子に何かを話した。それはこっちを見ながらだったように思う。
そして僕は僕でちらっと見た。というか傍から見たらそれは「睨みつけた」に近かったかもしれない。
その頃僕が知覚していた限りの世の中はみなおしなべてヤンキー文化の真っ只中にあって、
「女を無視する」ということがいかに硬派な行為とされていたことか。
もう1回書くけど、今思うとかなりあほらしい。


僕と彼女が大人の男女として再会して、そこから
いろんな物事が始まっていったのはそのときから少なくとも10年以上後のことだ。
高校は全然別なとこに行ったし、大学も同じ関東とはいえ、かなり離れていた。
もう何年も忘れてしまっていた。
・・・忘れたわけはないか。つまり、リアリティーのある存在ではなくなっていた。
そして僕は時々こんなことを考える。
あのとき、中学生のときにどっちかが勇気を出して言葉を発していたらどうなっていただろうか?
そしてそれをきっかけにその時付き合いだしていたら今の自分たちはあっただろうか?
たぶんないだろう。
彼女は「えー?あったかもよー」ぐらい言うかもしれない。そんで「ふふっ」と笑うかもしれない。
どうなんだろうな。


ベンチに隣り合わせて座って、何気に手を重ねたりしながら、考えるのはそういうことだったりする。
だけど僕はこのことを口に出して言わない。
いつか言うかもしれないけど、それは今じゃないから。

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せっかく車で来たんだから遠出しようということになってそのまま国道を東へ走っていって
浅虫温泉を通り過ぎ、野辺地を通り過ぎ、
横浜町まで行って「湧水亭」で昼を食べた。ここのみそ田楽はなかなかうまい。


帰りの車の中で陸奥湾を眺めた。空が晴れていたので海は青く輝いていた。
いい感じだった。これでいいんだと思った。


明日は車2台出して彼女の一家と僕ら一家とで
八甲田山経由で十和田湖を見に行くことになっている。















嘘です。


この日は家から一歩も出ないで「ブラックジャック」を読んでました。