僕の音楽遍歴 その5(中学校2年②)

ブルーハーツ以外に当時僕がその他はまっていたのは
レピッシュとアンジーユニコーン筋肉少女帯

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ブルーハーツの次に好きだったのがレピッシュ
僕の周りでは聞いてる人が結構多かった。
2枚目の「Wonder Book」が出て、ミニアルバムの「ANIMAL 2」を挟んで
3枚目の「Karakuri House」を出した頃。


「Wonder Book」は死ぬほど聞いた。
1曲目の「Our Life」がテレビのコマーシャルに使われ、
2曲目の「リックサック」がシングルとして話題になり、
それ以後の曲も捨て曲なしの一聴して耳に残る(というかこびりついて嫌でも忘れられない)曲ばかり。
僕は他に「爆裂レインコート」や「room」が好きだった。
なお、「Time Slip Boy」という曲は本当は「昭和生まれ」という名前だったんだけど、
昭和天皇崩御ということもあって自粛したという経緯があるようだ。

1枚目も「イージンサン」「Love Song」「Laura」「パヤパヤ」と名曲ぞろい。
ファンに最も人気が有るのは実はこの1枚目なのかもしれない。


そんで人気が最高潮になって出された(と僕は時代の空気を感じた)のが
3枚目の「karakuri House」
プロデュースはトッド・ラングレン
当時はよく分からなかったけど、今だと素直に「すげー」と思う。
若さで押すニューウェーブスカ・パンクから
このアルバムで音楽的に一皮剥けて、
その後のレピッシュの方向性を定めた1枚目・2枚目とも劣らぬ傑作アルバム。
これがやっぱピークだったな。
当時なんかの電化製品のテレビコマーシャルにて使われた「Rinjin」が有名か。
変な曲(だけど名曲)ぞろいということではこれが最高潮。


その後は浮き沈みを経て今でも活動してるのが嬉しいところ。
若手バンドからの信任も厚い。
いつのまにか大御所になってしまった。
低迷した時期もあったんだけど、
「ポルノポルノ」「Q」と90年代後半に入ってまた名作を連発した。
エキセントリックかつウェットな部分を体現していた上田現
まさかのプロデューサー業でのヒットにより脱退。
(↑「元ちとせ」ですね)
その後はさすがにパワーダウンしているように思う。


僕が中学校の時にはレピッシュのメンバーを主人公にした少女漫画もあった。

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アンジー
これもどういうきっかけで聞くようになったのか覚えてないんだけど、
3枚目の「蝿の王様」が14歳の頃だった。
当時の青森では深夜に「なんだわけ天国」という番組をやっていて、
水戸華ノ介が準レギュラーであるかのように毎週出ていた。


※この番組にはレピッシュも時々出ていた。
 確か最終回スペシャルってのがあって、青森の海辺でフロントの3人が
 アコースティックな編成で「イージンサン」を演奏した。
 この番組は当時の(青森からすれば)最先端なロックを紹介する番組で、
 高校2年頃にフリッパーズギターの「恋とマシンガン」かなんかのビデオクリップを見て
 (白い服を来て白いベレー帽をかぶった小柄な2人 キャンバスを脇に抱えて美術館を歩き回るやつ)
 「なんだこりゃ」と思ったりした。
 青森には「渋谷系」なんて言葉はリアルタイムに届かなかった。


非常に玄人向きなバンドなので
どうしてこれが売れた(そんなには売れてないか)のか不思議に思う。
中谷のブースカのギターや水戸華ノ介のキャラクターってナチュラルにキワモノで、だけどカリスマ的。
曲は非常によかった。
唯一無二の雰囲気があった。
1枚目の「溢れる人々」は構成に語り継がれるべき名盤だ。
日本のロックの中でも最も「やさしさ」「正直さ」に満ちたバンドだったと思う。

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ユニコーンは夜中9時頃にラジオ番組があって毎日欠かさず聞いてた。
メンバーが日ごとに2人ずつ入れ替わり立ち代り出てきて喋るんだけど
奥田民生が出てくることはほとんどなかった。
J-WAVE だろうと FM 東京だろうと NHK FM だろうと
僕はラジオというものを普段聞くことはなく、
この30年の中でもラジオを聞くという行為が日常的だったのは14歳のこのときだけ。
ただそれだけでも、特異な時期だ。
オールナイトニッポン」の影響を僕は受けていない。
高校では聞いてるやつもいたけど。


「大迷惑」にて一躍「なんだこりゃ?」的に有名となり、
「服部」というこれまた人を食ったようなタイトルのアルバムでブレイク。
坂上二郎と一緒に歌った「デーゲーム」というシングルがあったりして、
とにかくやることなすことハチャメチャだった。
そんな意味で中学生にとっては非常にとっつきやすいバンドだった。


その当時のイメージのままで僕の中でユニコーンはいったん止まってしまって、
その後高校生の僕は日本語のロックは聞かない洋楽の時代に突入する。
今思うと非常に残念ながら「ケダモノの嵐」のリアルタイムに聞いてない。
名作「ヒゲとボイン」も名曲「働く男」や「素晴らしい日々」の入った「スプリングマン」も。
大学生になって後追いで聞いて、僕は涙することになる。

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筋肉少女帯大槻ケンヂのラジオ番組を当時聞いてた。
かなりしょうもない内容だったなー。
弾けもしないのに毎回ギターを弾いて曲を作ってたり。


「Sister Strawberry」に収録された「キノコパワー」「マタンゴ」で
なんだこりゃ?と気になりだし、遡って「釈迦」の破天荒さで、
その次のアルバムの「日本印度化計画」の無茶苦茶さで、
僕の心をがっちりと掴んだ。


さらにその次の「サーカス団パノラマ島に帰る」に収録された
「元祖高木ブー伝説」はお茶の間にも浸透して、
いつのまにか筋少は(確か)武道館公演も行うほどのビッグネームに。
バンドブームってこともあったんだろうけど。


ナゴム時代の曲を集めたアルバム再発されないかなあ。
ケラの空手バカボンと一緒だったか、空手バカボンとしてやったやつ。


なんか今思い出したんだけど、
NHKにて「バンドスタンド」という番組があって
旬のバンドを集めて各地でライブをやるというイベントが
2年連続ぐらいで行われた。
あれってよかったなあ。
普段テレビで見ることの無いマイナーなバンドも出ていて。
この番組で初めて動く姿を見たバンドがたくさんあった。
筋肉少女帯もその1つ。

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この時期(89年前後)他に書いておくべきものとしては、イカ天がブームだったことと、
女子中学生の間では光GENJIの人気がとんでもないことになっていたということ。
ヤンキー系の女の子ですら「あっくんがぁ」とか一時期言ってた。
あれは凄かった。。。
今30前後の女性の皆さん、あなたは誰のファンでしたか?


僕が解説するまでも無いがイカ天Flying Kids や青森出身の「人間椅子」に始まり、
「たま」や意外なところでは Blanky Jet City, BEGIN, Little Creatures を排出。
スイマーズやブラボー、宮尾すすむと日本の社長などユニークなバンドも数多く。
僕もかなり興味を持ったけど、リアルタイムに音を聞けたのは「たま」だけだった。
意外に GLAY や突然ダンボールなんかも出てたんですよね。
「天才たけしの元気が出るテレビ」に出ていた「AURA」とか。
(↑もちろん毎週見ていた)
今では割と悪く言われている「イカ天」やバンドブームであるが、
青森という地の果てにも様々なバンドの話が伝わるようになったので
からしてみればとてもいいものだった。