前世

ぼけーっと電車に乗っているときに、生まれ変わったら何になろうかと考えた。
ミュージシャンかなあ。でも料理人ってのもいいなあ。
(ちなみに次生まれてくる時は断然女性がいいです)


なんてことをツラツラとレイドバック気味なことを考えていたときに
ふと、「次」ではなくて「前」はどうだったのだろうか?ということが気になりだした。
いわゆる前世というやつ。
生まれ変わりってのを信じてるのかと聞かれたら
信じてるような信じてないような、まあ9割方信じてないんだけど、
もしかしたらあるのかもな、なんて思っている。
となると、じゃあ僕は誰の生まれ変わりなのだろう?


早速「命日」をキーワードにして google で調べてみた。
http://www.d4.dion.ne.jp/~warapon/data04/


生年月日のサイトは結構世の中にあるものだが、命日のサイトってあんまりないようだ。


※ついでに、命日占いというものを見つけた。
http://www.carecrew.co.jp/u/mei/


(僕の命日は8月16日となっていた。
 今年の8月15日に今のプロジェクトの本番稼動日なので、
 僕はその頃過労死しているということなのかもしれない)


1975年1月1日命日の人のところには
「荻野 久作 (おぎの・きゅうさく) 【医者(産婦人科)】 〔愛知県〕」


とあった。いろんな各界著名人と並んでいるのだから、
その筋では有名な人なんだろうな。
・・・と思ってさらに google で調べてみたら、
いわゆるオギノ式の考案者だった。


引用する。
「彼の月経と排卵の関係についての学説は「荻野学説」として世界に知られる。
彼の本意は避妊に用いることではなかったが、
避妊に応用できるところからローマ法王も1958年、
唯一の避妊法としての「オギノ式避妊法」を認めた。」
http://www.civic.ninohe.iwate.jp/100W/06/060/


そうかあ。僕は荻野博士の生まれ変わりだったのか。
惜しいことしたな。15年ぐらい前に知っていたら僕も医学の道を志して、
今から10年後ぐらいに「オカムラ式」を世に投げかけていたかもしれない。


・・・というのはかなり自分本位な考え方で、
1975年1月1日に生まれたのは僕1人なわけはなく、
まあたぶん僕が誰かの生まれ変わりなのだとしたら
無名の名も無き人の、という確率が高いだろう。
というか自分の前世が人間だったというのもおこがましい考えた方であって、
僕の前世はカエルやはたまた消しゴムだったりするのかもしれない。
(物にも魂は宿るのかもしれない。。。)

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生まれ変わりというものが本当にあるとしたとき、
死の直後からすぐ別な生へと転ずるものなのだろうか?
それとも一定の期間、死の世界を彷徨った後のことなのだろうか?
だというとき、その長さというのも人によってまちまちで、
1秒間かもしれないし100年間かもしれない。
でもこの時間の長さというのはあくまで地球上の物理的な時間の長さであって、
死者が自らのうちに感じ取る時間の長さは全然別な尺度によるものなのかもしれない。
死後の世界で1000年の苦しみを経た後に生まれ変わったとしても
地上では0.1秒も経過していなかったりするのかもしれない。


生まれ変わり。生命の連鎖が脈絡と繋がる。
僕の前には過去年百・何千世代とあって、僕の後にも年百・何千世代と未来が決定されている。
そんなもんだろうか。
今から100世代前の僕も「僕」なのだろうか?
そう考える時、今この瞬間の僕の意識とか肉体ってのはあくまで仮のものでしかなくて
本当の生命・生命体というのはその生まれ変わりの連なる様相そのものではないだろうか。
そしてその生命の流れを束ねている、あるいは見つめている何らかの存在があったりして、
それは、・・・。

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こういうSFの短編を考える。


科学の進んだ未来。
ドラえもんで言うところのタイムテレビみたいなのがあって、
前世の有様が映像で体験できる。映像で、っつうかなんらかのバーチャルリアリティーとかで。
バーチャルリアリティーというのも古いな・・・)
同様に、生まれ変わった後どうなっているかも体験できる。


今の自分の置かれた境遇でものすごく惨めでなんのいいことも無い主人公が
未来の生まれ変わりを覗いてみたら、とんでもなく素晴らしいバラ色の人生になっていて
「乗り換えたい」と思うようになる。
合法的な手段により現世の命を断ち切る。
で、生まれ変わってみたもののものすごいどんでん返しが。
前世に戻りたいと思っても後の祭り。。。