いわゆる「シンガーソングライター」のアルバムを最近よく聞いている。というか買っている。
最近のじゃなくて、60年代末から70年代にかけてのオリジナルな時代のものを中心に。
キャロル・キング、ジョニ・ミッチェルに始まり、
ティム・バックリー、ティム・ハーディン、ニック・ドレイクといったあたりに進む。
こうなるともう抜けられない。引き返せない。
ある種の音楽の極点として、ズブズブと泥沼にはまり込むことになる。
何を持ってシンガーソングライターか?
言葉の意味どおりに、自作の歌を歌っていればシンガーソングライターか?
それでいったら例えばマドンナだってシンガーソングライターですよね。
でも誰もマドンナのことをシンガーソングライターとは呼ばない。
ある種の音の雰囲気?ピアノだけとか、アコースティックギターだけとかの。
これはいい線いってると思うが、なんかまだ足りない。
だとしたら自作の曲を歌っているフォークシンガーもそう呼んでいいはずだが、
今時誰も60年代初めのボブ・ディランのことをシンガーソングライターとは呼んだりはしない。
なのでシンガーソングライターをシンガーソングライター足らしめているものは
音の形態ではなくて、佇まいの問題だということになる。
考え続けてようやく1つ、キーワードを見つけた。
それは、「メランコリー」だ。
物憂げな雰囲気と言い換えてもいいかもしれない。憂い。
ただ悲しげなだけでは全然足りなくて、
いくらぬぐっても塗り重ねても消えないような孤独が、そこには染み付いてなくてはならない。
そしてそれは個人的な孤独ではなくて
人という生きものが共通に抱えている孤独にまで踏み込んだとき、より美しいものとなる。
それを自らの歌、言葉と声で表すことができて初めて、シンガーソングライターと言えるかもしれない。
それは心の闇を描き出す音楽となる。
なので僕が「シンガーソングライターにはまってます。よく聞いてます」と言ったとき
ピアノやアコースティックギターを主体としたミニマルで耳に優しい音楽が好きなんですね、
と思ったら大きな間違いで、僕の場合、そこに孤独を、
どうしようもないほどのメランコリーを求めている。聞き取っている。
(ボブ・ディランが憂いに満ちてない音楽かというとそれはまた別の問題だということを
ここで念のため断っておきます)
孤独な音が、孤独を描いている音が、昔から好きだった。
昔はそれをニルヴァーナに代表されるようなオルタナティブなロックに求めた。
現代の若者が内に抱える痛みや、ネガティブな感情を泣き叫ぶようにさらけ出す音楽。
それはそれで今も同じぐらい好きだ。
でも、それらの音楽は音の強烈さで自らの弱さを外敵から遮ろうとしている、
轟音のギターで高い壁を築くことによって守りに入っているようにも今の僕には感じられる。
僕がシンガーソングライターの歌に惹かれるようになったのは
そういう虚飾に頼ることなく、自らの声と必要最小限の音だけで伝えようとしている、
直接的な「魂の叫び」をそこに感じたからだ。
呟くように、囁くように、描き出される心の叫び。
以下、以前 Gazz ! に書いた
ニック・ドレイク「ピンク・ムーン」のレビューをここに転載します。
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「このジャンルならばこの人だ」というのを決めていったとき、
男性シンガーソングライターというジャンル、もっと言うと
「薄幸の」シンガーソングライターってことになると
アメリカはティム・バックリーで、
イギリスはニック・ドレイクってことになると思う。
これは多くの人にとって異存はないはず。
ただ早死にしたというだけではだめで、
音楽という旅の途上で何を見たか、どこまで辿り着いたのか、というのが大事。
1つレベルを下げて
曲がいいとか歌がいいとか声がいいとか演奏がいいとか
そういうシンガーソングライターならばたくさんいる。
しかしそれで何を歌うかとなったとき、歴然とした違いが出てくる。
どこまでも自己を見据えていった果てに
死や虚無といったものを見つけ出し、たった一人向かい合う。
そんな苦行とも言える探求の果てに紡ぎ出される音楽は
無限とも言える広がりを刻み込むことになった。
そこには時間も空間も無くなる。
ニック・ドレイクやティム・バックリーの音楽は
これからも世界の各地であらゆる時代を超えて、
孤独な人々の間で聴き継がれることだろう。
どんなことを歌っていようとも、
そこで語られているのは
人類という存在が普遍的に抱えている
悲しみや孤独や絶望についてだということは
歌詞を見なくても分かる。
この3枚目のアルバムを最後に、
ニック・ドレイクは坑鬱剤の大量摂取により死んでしまった。
享年24歳。
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Joni Mitchell 「Blue」
Carole King 「Tapestry」
Tim Buckley 「Happy Sad」
名盤とされるアルバムのジャケットはみな、
その歌い手が憂いを帯びた表情で写っている。
この世の全てを知り尽くしたかのような、恐ろしい表情をしている。
今の僕なんかよりも全然若い頃のものなのに、
彼らは/彼女たちは、自らの心の中をさまよっているうちに
そこにこの世ならぬものを、早い話が地獄を、見出してしまった。