「ある子供」

ダルデンヌ監督の最新作、「ある子供」を見に行ってきた。
恵比寿ガーデンシネマ
今年のカンヌで最高賞パルムドールを受賞している。
ダルデンヌ兄弟はこれで「ロゼッタ」に続き2度目のパルムドール受賞。
(これまでに2回受賞しているのは、他に4人だけ。
 エミール・クストリッツァ今村昌平フランシス・フォード・コッポラビレ・アウグスト
ロゼッタ」が99年だったから、間5年しかない。
ロゼッタ」の次に発表された02年の「息子のまなざし」も主演男優賞を獲得している。
カンヌに愛されている監督としか言いようが無い。


でもね、単に相性がいいだけではなくて、ほんとにすごいんだよね。見てると。
芸術性の高い映画監督としては現時点で最高峰の1人(というか1組)だと思う。
エミール・クストリッツァラース・フォン・トリアーのような天才肌、
豪華絢爛たるマイワールド炸裂系の監督では決してない。
非常に現実的な背景があって、役者の演技があって、淡々とその光景を切り取っていくだけ。
地味渋系。だけど、その光景の切り取り方というか
映画という得体の知れないものに対する向き合い方における真摯さにかけては
他に並ぶものが無い。
どんな日常的な光景であっても、この監督が撮れば映画になってしまいそうだ。
(でも、何を撮っても映画となってしまうような
 ストローブ=ユイレ言うところの「映画獣」では決してなく、
 彼らは徹底的に時間をかけて考え抜き、選択を繰り返した苦労の末に映画を生み出している。
 入念なリハーサルのもと、緻密に映画というものを構築している。
 なので前言は違うと言えば違う。より正確に言うと
 この監督は日常的な光景を映画として成立させるための気迫が違うのだ、ということになる)


今回も話は単純。
盗みでその日暮らしをしている20歳の若者と、その子供を生んだ18歳の女の子。
生活費を得るために、盗んだものを売る感覚で生まれたばかりの子供を売ってしまう。
やがて子供を取り返したものの、女の子は若者のことを拒絶する。
思い悩んだ末に若者は・・・、という話。
たったこれだけでしかないのに、全ての会話・全ての行動に意味があり、
ひいては全ての場面においてヒリヒリするほどの張り詰めた空気が漂う。
空になった乳母車を押すだとか、恋人にスプライトをぶちまけてはしゃぐとか、
答えは返ってこないとわかっていても、恋人の名前を呼ぶだとか。
全てが何かのメタファーになっていて多くの物事を重層的に語っているというのではない。
空になった乳母車を押すという行為は
映画の中では空になった乳母車を押すという行為、ただそれだけでしかない。
なのにそれが映画の中で非常に大事なたった1つのことを語っていて、かけがえの無い断片となる。
どの場面も他の画面に置き換えることができない。
そのたった1つの意味の連鎖だけで、映画というものが最初から最後まで語られる。
観ている人を確実に1つの終着点へと導く。
これがすごい。


多分見た人はみんな言うと思うけど(よほど映画をマニアックに見る人ではない限り)、
あのラストシーンは21世紀に生まれた映画、というかここ何年かでは最高のものだよな。
トリッキーなことは何もなし。
若い2人が本当の意味で、互いが互いを必要としているということに気がついた、
ただそれだけの事実、映画でもよく扱われるありふれた出来事を、正面きって描いただけ。
それまで一部の隙も無い演出でグイグイ押していってあのラストシーン。
これこそ映画のカタルシスというものではないか。


プログラムの中で元 Going Steady 現、銀杏BOYZ峯田和伸がとてもいいことを言っていたので、
引用して終わりにしたいと思う。
「幸せなんていらないから。未来なんてどうでもいいから。
 そのかわり僕らがずっと一緒にいれますように。
 と、スクリーンから声が聞こえました。
 最後の場面でした。
 ずっと僕が聞きたかった声です」