人体実験

こういうことをふと考える。
「なぜ人を殺してはいけないのか」


それは本能的なものなのか。それとも後天的に学ぶ価値観なのか。


サルからヒトに進化し始めたばかりの頃、
彼らは/彼女たちはヒト殺しをしただろうか?
それは頻繁に行われることだっただろうか?


まてよ。サルはそもそも同類を殺す生き物なのか?
よくわからんぞ。
というか、他の生き物で
本能的に同類を殺すよう遺伝子にプログラミングされているものはないはず。
互いに殺しあうのはヒトだけだとどこかで読んだことがある。


そこからこういうことを考える。


どこかの無人島に子供たちを集めて、そこで子供たちだけで生活をさせる。
最初は食べ物をこっそり与えつつ、その量を徐々に減らすなどして。
やがて自ら食べ物を探しに行くようになる。
ある程度陰で生きる方策を指し示し、絶命しないようにする。
こんな感じで100年、200年のスパンで観察を行う。
原始的な生活となるから、言葉を身につけることはないかもしれない。
衣服を着ることもなく、掘っ立て小屋を建てることもない。


こうした状態で長い長い年月を経た何代か後の世代は
無邪気に殺し合いをするだろうか?
人口が増え、原始的な社会が形成されるようになったとき、
同胞を「殺す」ということになんらかの意味を感じ取るようになるだろうか?


さらに長い年月を経て、
そこにもなんらかの宗教が生まれるものと思われる。
その神様は、互いを殺すことを禁じるだろうか。
それとも、「殺す」という概念そのものが欠落した、
その良し悪しについて考えてみようともしなかった神様となるのだろうか?

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何も無人島に集めて「実験」する必要はない。
ものすごく現実的でない。
もしかしたら、例えば、19世紀末のイギリスから出帆した船が
大西洋上のどこかで難破、大きな無人島に漂着。生活を始める。
そこから100年かかっていまだ見つかっていない、
そんな人たちが実はどこかにいたりするかもしれない。
言葉を忘れて、文明国の慣習を忘れて、
世代を経るごとにどんどん野性に返っていく人々。


見つかったとき、文明国の人たちは彼ら/彼女たちを連れ戻そうとするだろうか?
そして言葉や、物事の作法を、
21世紀の社会に暮らしていくことの何たるかを教えるのだろうか?
単純な手作業を覚えさせて、職に就けるのだろうか?
彼ら/彼女たちにも基本的な人権があるのです、働くことの自由を享受するのです、
資本主義社会に積極的に導いてあげようじゃないですか。
働かざるもの食うべからずの理念はあまねく全てのヒトに当てはまるのです。
ってことになるのか。
(イギリスって例に出したけど、どこの国でも可。アメリカでも中国でも。
 元となる国の違いによって、漂着民のその後もかなり変わりそうに思える)


彼ら/彼女たちにとって「殺す」という概念はどういう意味を持つだろう?
文明化のトレーニングを受けた後、それはどう変わるだろう?