夕暮れの散歩。二子玉川へと向かう坂道を下っていく。
特に用事もないけれど、どこかに出かける余裕もなく。
デパートに行って上から下まで見て回って、
「あ、これいいね」「いつか買えたらいいね」
そんなことを言い合って帰ってくる。
一緒に住み始めたばかりのふたりは
なけなしの蓄えをあらかた使い切ってしまっていた。
どちらともなしに立ち止まった。
薄曇りの中、高島屋のマークが真っ赤に浮かび上がっている。
○の中に旧字の「高」上の方の「口」の前後がつながっている。
いわゆる「はしご高」だ。
「なんで、ああいうマークなの?」
「あれはロケットなんだよ」
「ロケット?」
「アステカ文明の遺跡が中南米を下ったところにあるんだけど
ロケットに乗った王族を描いた壁画が多数見つかっている。
彼らはその末裔なんだ。
江戸時代に日本に流れ着いて、ひそかに帰ることを試みた。
ここで言ってる帰るとは、メキシコじゃなくて宇宙だよ」
「宇宙?」
「そう。あのマークは彼らの、あるいは彼女たちの、そんな思いを表している」
「それでどうなったの?」
「そこから先は知ってるだろ? よくある話さ。
土地を持ってるわけでもなく、武士階級でもなく。
何もないところからできることをして金を貯めなくちゃいけないってことで
商売を始める。必死だから日々誠実に商いをする。
何代か続くころには店は立派になるが、
かつての思いは単なる言い伝えとして片付けられ…」
「忘れちゃったの?」
「いや、一子相伝で今も限られた一族の数人だけがそのことを知っている。
帰り着くこと、その地を離れられることが目的だから
郄島屋は川べりの土地に建てられている。
二子玉川の側にどこに店がある?」
「えーと、…日本橋。あ、そうか。そうなんだ」
「立川も多摩川は歩いて行ける距離だ」
ふいと会話が途切れて、そのまま下りていく。
寒いね、冬が近いね、そんなことを言いながら。
ちらっと見上げると看板はさらに大きく近づいている。
打ち上がれ、ロケット。
大きな音を立てて、派手に炎を振りまいて。
どこか遠くの、宇宙へ。